Wedge REPORT

2020年10月6日

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馬場未織 (ばば・みおり)

二拠点居住ライター

日本女子大学大学院修了後、建築設計事務所勤務を経て建築ライターに。2007年から平日は東京、週末は千葉県南房総市の里山の二地域で居住する。田舎暮らしなどをテーマに執筆活動を展開。南房総の里山と都市に暮らす人をつなぐNPO法人南房総リパブリックの理事長も務める。著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

 コロナ禍の自粛期間に「行けない介護」について記してから数か月経ち、社会は通常運行へと舵を切っている。筆者も遠隔介護の苦労を経たのち、現在は感染防止の注意を払いつつ高齢の両親の住む実家へと向かうようになった。「行ける介護」で解決できることは多くなった、とはいえそもそもの介護の難しさが減るわけではなく、日々現れる課題と格闘している。正直、想像を超えた苦労があり、多くの先人たちがこうした経験をしているのかと思うと改めて驚き、そして頭が下がる。

 多様なライフデザインが考えられる人生100年時代には、介護を携える生活になるタイミングも多様化し、また長期化していく。仕事や家庭運営に忙殺されながら大事な人の人生最終盤に長く伴走する時、心にゆとりを持つのはとても難しいことだ。どんな温かい励ましも綺麗事に聞こえ心に入ってこなかったり、割り切れない思いに振り回されてしまったりすることを、筆者自身も経験するようになった。

 一方で、それだけ真剣に向き合うからこそ、介護での気づきは他では感じ得ないほど真実味がある。人生の中盤にこんな学びがあるなんて、介護というのはひょっとしたら次の世代に渡すプレゼントなんじゃないか?と思うことさえある。

 介護を通じて人の本質に触れ、生きることの意味を考える。自身の人生にも大きな変化をもたらす介護は、人間を再発見する旅路だと言っていい。今回は「親の介護での発見」に注目し、次回は「自分の人生に発見を生かす」ことについて述べる。

(kazoka30/gettyimages)

 ストレスと思わない発想の転換を図る

 介護の形は人それぞれ、苦労の質も量も千差万別だが、親子で頼る側と頼られる側の立場が逆転していくプロセスとは得てしてしんどいものだ。子としては、親は親らしいままでいてくれるとどこかで信じていたはずが、不意に危なっかしさを感じるようになり、自分の知らない側面を見せることが増え、先々への不安はひたすら募り続ける。親だって辛かろう。介護にあたる若い人はいつも忙しそうで、そんな彼らに面倒を見てもらうこと自体が自尊心を傷つけるのではないか。認知機能が衰えてもそうした感情の機微は豊かであり続け、それが余計に辛い。

 介護する側・される側とも辛く感じているならば、「介護は人生のネガティブ要素」と認識されて当然である。本来なら人生最終盤こそ幸せに生き抜きたいはずが、「人生は尻窄まり」という想定を誰もがもやもやと抱えることになる。そんな沈滞した意識の上に、実務的に大変な日々が乗っかってくるのだから厳しさはマシマシ状態。仕事なら割とできているはずの“自分の置かれた状況を相対視する”作業が、介護ではなぜかできなくなり、負の感情に溺れて日々の課題を打破する活力が奪われるのだ。

 そんな時、意識して発想の転換を図ることが、窮地を救うこともある。介護する立場として「辛い」と感じるポイントについて、いったん冷静になり客観的に捉えてみることを提案する。すると、いくつかの事柄については、自分で自分を追い詰めていたり、うまくいかないと思い込んでいたりするのだと気付く。取り憑かれていた固定観念も、不必要なものは取り外してみる。状況を俯瞰し、本質を見極めることで、懸案事項をシェイプアップしながらよりより方策を見つけることが可能になる。

家族だからこそできる「チームプレー」がある

 言ってみれば介護とは、仕事や子育てなどでそもそも背負うものがある暮らしに突然割り込んでくる仕事である。予定通りには運ばず、時間が経つほどに荷が重くなる傾向があり、気が付けば過積載になっていることもある。

 ただ、人1人が背負える実務の量は、1日が24時間なのと同様、限りがある。「あるものすべて背負いきらねば!」と気合いで乗り切ろうとするのは持続可能とは言い難い。長い介護に必要なのは、かかってくる重さを分散させることである。

 その中で実は盲点なのが、兄弟との介護分担である。同じ立場の当事者だから分担が当然のようだが、これが意外と難しい。家が近い、長男長女であるといった理由から先に親の面倒を見始めると、途中から兄弟に詳細な情報共有をして分担を切り出すのが億劫になるからだ。仕事でもそうだが、分担というのはプロセスに手間がかかる。

 長期間の介護では、親を知り尽くしている兄弟姉妹が介護仲間であることで、心強さは倍増しになる。知人は「両親のことで“兄”という存在を再発見した。何かを決断するときの判断のしかたが共通していて、嬉しかった」と語る。親の性格や細かい癖、考え方を互いに熟知しているからこそだろう。また、「弟は戦力にならないものとして一人で采配していたが、母が亡くなる少し前に弟が『まだ大丈夫だと思っていた。もっと顔を出せばよかった』と言うのを聞いて弟の選択の余地を奪ってしまったことを知った」と振り返る知人もいた。

 長女である筆者もはじめはひとりで介護にあたっていた。コロナ自粛のピンチをきっかけに妹との連係プレーを始動したところ、親の現状を正確に把握している彼女に困りごとを相談できる尊さを知った。ずっしりと心にのしかかっていた荷の重さは半減し、人と人とがつながる基本的な温かさを思い出す。

 実務をイーブンに分担することが重要なのではない。同じ目線になれるチームメイトがいると、自分のいる位置が客観視でき、冷静さとゆとりを回復できるのだ。そして介護を「高齢者の人生をともにつくる前向きなプロジェクト」と考える心が育っていく。

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