Wedge REPORT

2020年5月10日

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馬場未織 (ばば・みおり)

二拠点居住ライター

日本女子大学大学院修了後、建築設計事務所勤務を経て建築ライターに。2007年から平日は東京、週末は千葉県南房総市の里山の二地域で居住する。田舎暮らしなどをテーマに執筆活動を展開。南房総の里山と都市に暮らす人をつなぐNPO法人南房総リパブリックの理事長も務める。著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

 緊急事態宣言が延長した。約2か月にも及ぶ自粛生活は、踏ん張ったら乗り越えられるという長さではない。ダメージの出る部分は人によってさまざまだが、昔から弱さのあるところが一層弱まる傾向がある。

 筆者も現在の暮らしでいくつかのダメージを食らっているが、その中で今もっとも頭を悩ませているのが、離れて暮らす親の介護である。これまではヘルパーさんに頼りつつも最低隔週ペースで実家に通い、通院介助や生活のもろもろを管理していたが、基礎疾患のある両親への感染リスクを考えて1か月半以上実家の敷居をまたいでいない。影響は、会っていなくても充分分かる程度に日々深刻化している。支えられて暮らす人々は、新型コロナウイルスに感染せずとも状態が悪くなる。

 今回は、遠隔介護の実態と、日々あぶり出される課題を乗り切るための模索を伝えたい。真に不安なのは介護側ではなく、高齢者当人なのだということを念頭に読んでいただければありがたい。

(Rawpixel / gettyimages)

「緊急事態宣言」の何たるかを理解しきれず不安が募る

 行動範囲が極めて限定的で、生活を成り立たせるためにさまざまな人の手を借りている高齢者にとって、「人が来なくなった日常」はおそらく想像以上に停滞する。日々の仕事に忙殺される世代とは異なり、「ヘルパーさんが来る」「家族が来る」といった外部からのアクセスを待つしかないわけで、ほぼそれだけが暮らしにおける刺激であり、生きる意欲をつなぎとめるものにもなっている。ところが、突然家族の足が遠のき、馴染みのヘルパーさんや訪問看護の方々も感染防止の観点から振る舞いが変化する。本人たちは、理由が今一つ飲み込めない。

 「今、新型コロナが流行っているから、わたしが感染しているかもしれないと考えると会いに行けないのよ」と母に話すと、その時は理解した風ではあっても、おそらく腹落ちしておらず、「あなたコロナにかかったの?」「かかっていないのに来られないの?」と繰り返される。“無症状感染者”という概念は想像力を2段階くらい働かせねばならないので認知症患者には理解しにくいらしい。

 そうして外部からの刺激が減ったことで、母の認知症は加速度的に進行した。1日に何度も、同じ内容の不安相談の電話がくる。妹と手分けして電話し、降圧剤など必要な薬の服用を促して飲み忘れを防ごうとするも、「もうお薬がなくなった」と逆に飲みすぎていることが発覚する。また、外出自粛という概念が定着せず、少し体調が悪いとかかりつけ医のいない開院中の医院にノコノコと出かけてしまい、おくすり手帳を持参しないため飲み合わせの確認がない薬を処方されてしまう。定期的な通院をやめて電話診療に切り替えたことで、「お医者さんに診てもらえていない」という感覚だけが残って不安が増し、すがりたい思いで病院を訪ねるのだと推測する。

 普段頼っている人たちから見放されているように感じるとしたら、安心して生活することは難しいだろう。パソコンもスマホも扱えない身でもあり、電話でのやりとりだけでは埋めがたいさみしさがあるはずだ。

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