Wedge REPORT

2020年4月29日

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 新型コロナウイルスの蔓延によって、にわかに注目が高まった保健所。感染の疑いがある人が押し寄せ、感染者と接触者の追跡を行うなど、一部の現場では逼迫した状況に陥っている。都道府県と市町村がそれぞれ管轄する保健所は、平成元年に全国で合わせて848あったが、令和元年には472にまで減少している。しかも、保健所長などを務める公衆衛生行政医師(以下、行政医)の不足という問題もある。例えば、東京都では、行政医の定数169人だが、現員は120人にとどまっている。

(venimo/gettyimages)

 これが、足元での逼迫につながっているかどうかは、現時点では判断できない。新型コロナウイルスの蔓延は想定外の事態だからだ。東京都では、現場の医師が仕事に集中できるように、事務作業などについて別の部署から応援に入るなどして対応しているという。医療介護などの予算が増大し続けるなど制約があるなかで、公衆衛生の分野にどのくらい予算を割くのか、そのバランスについては、今後の検討課題になる。

 一方で、専門家が現場で指揮をとったり、情報発信をしたりすることの重要性に変わりはない。川崎市医務監・川崎市看護短期大学学長の坂元昇医師に、「公衆衛生行政医師の確保と育成」について話を聞いた。

公衆衛生行政医が不足する理由

坂元昇医師

 厚生労働省の「医師・歯科医師・薬剤師調査」(2018年)によると、日本の医師数は32.7万人で、このうち行政機関に勤務する医師は1835人、0.6%にすぎません。行政医の定員に対して欠員していることが珍しくないため、保健所の所長が兼務状態といったことも起きていと聞きます。行政医が不足すると具体的にどのような問題が生じるのでしょうか?

 行政医が不足する弊害としては、一人当たりの業務量増加に伴い感染症などに種々の医学的判断が必要な業務にきめの細かな対応ができなくなることがあります。医師同士の事例検討(病院でやっているような複数の医師による症例会議のような)ができなくなり、判断が偏る危険性があります。また、業務に追われることで、地元の医師会や病院協会などとの意見交換の機会が減ってしまいます。

 危機管理の際には、特に患者から情報を聞きだしたり、入院調整に際して受け入れ先の病院から病状の詳細な説明を求められることがあります。こうした場合、ある程度の臨床経験がないと的確に対応することが難しい場合が多いのです。医師は卒後最低2年間の臨床経験が義務化されていますが、保健所の保健師も看護師資格はあり、公衆衛生学に関する教育は受けていても、病院勤務経験(臨床経験がない)がほとんどない人が少なくありません。

 病院や医師会との顔が見えている関係や日頃からの意思の疎通が、危機管理においては重要になってきます。つまり行政医は、基本的な臨床知識の上に疫学調査や統計学の基本など公衆衛生学的な知識はもちろん、地元の医療関係者との日頃からのつながりやさらに行政施策に関する法制度・予算・議会対策などに精通している必要があります。しかし、残念ながら臨床経験をある程度持った行政医師の中には、いつまでたっても「俺は何科の専門医だ」という妙な「専門医」プライドや発想が抜けずに公衆衛生の専門家としての組織人としてうまく行動できない人もおります。

「平成30年(2018年)医師・歯科医師・薬剤師統計の概況」

 なぜ、行政医は不足するのでしょうか?

 特に、日本においては「永遠の課題」とも言えますが、行政医の立場が、臨床医よりも低く置かれています。「病院が務まらない(臨床医)から、公衆衛生に行け」などと、言われることも少なくありません。99%が専門医というのが日本の特異な点でもありますが、「専門」の肩書を増やしていくことが日本の医師のキャリアアップであることに対し、行政医は臨床医と違い、専門の肩書を増やすことができません。

 待遇面においても臨床医とは差が出ます。行政医になれば、公務員としての給与体系に組み込まれるので、病院勤務などの臨床医と比較すると、どうしても収入が低く抑えられてしまいます。また、臨床現場から離れてしまうために退職後に開業や再び医療機関に勤めるという道も閉ざされます。臨床医が個々人の患者を診ることでスキルアップしていくのに対して、行政医は集団や社会システムを診ることが仕事だからです。

 また、公衆衛生業務が医師でなくてもできるという認識が日本では強いことも影響しています。というのも、日本専門医機構による新しい専門医制度が18年度から開始されましたが、この中には、公衆衛生や産業衛生といった「社会医学系専門医」が選択に入っていません。これは、公衆衛生行政業務の根底にある医学の高い専門性の重要性を考慮していないということです。そのため、臨床を離れて公衆衛生に長年携わっていても、「私の専門は公衆衛生です」と堂々と名乗れないのか、臨床系の学会に出席して、いつ行政医師を辞めてもいいようにその専門医資格の維持に努めている行政医もいます。

 感染症対策の強化策としてアメリカのCDC(疾病予防管理センター)を日本でも創設すべきという声などがあるように、行政医の確保と育成に関してもアメリカは日本よりも進んでいるのでしょうか?

 アメリカでは、専門医制度のなかに「予防医学」の項目があって、その2階部分に公衆衛生、産業衛生、医療情報など複数の領域が設定されています。その予防医学専門医の研修過程には公衆衛生大学院でのMPH(公衆衛生修士)が設けられています。

 アメリカの州・地域保健部門職員連合の責任者の肩書を見ると、過半が医師およびMPHなどの公衆衛生の学位を持っています。これは、日本の都道府県の保健衛生部門の責任者が事務職であることが少なくないことと対照的です。アメリカの地方自治体の保健衛生部門の幹部職員ポストは公募されることが一般的ですが、医師および、MPHなど公衆衛生のキャリアを求めていることが多いです。

 現在、ホワイトハウスのコロナウイルス対策チームのトップを務める国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)所長のアンソニー・ファウチ氏は、今年80歳になりますが、優秀であれば、このように長く仕事を続けることができるというのも、アメリカの特徴です。

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