ただ、彼女のそうした「支える人生」「評価を大事にする人生」という側面は、時代背景もあると考えている。高度成長期の大人たちは、長時間労働が当たり前で、勝負をし続け、評価されることだけに注力して生活していたのだろう。そうした夫を同じテンションで支える妻がいてもおかしくない。猛烈労働こそ美徳という時代を生き抜いた人たちは、使命を果たした後の人生で自分と折り合いをつけることが難しかったのではないか。
ちなみに、もともと美術大学出身だった母は最近、たまに絵を描くことを楽しむようになった。おそらく何十年ぶりだ。わたしたちが褒めると、とても嬉しそうな顔をする。ようやく自分の輪郭を取り戻しているのかもしれない。「芸は身を助く」とは、芸があれば何かの折りに収入になり経済的に助けられるという意味だろうが、自分を生きるための助けになることもあるのだと感じる。
評価されない活動が生き方の幅を広げる
「評価」の中で生きない方法の糸口がこのコロナ禍で見えてきている。移住や二地域居住をする人が増えているのは、環境のいい場所に居住地を変えたいという理由に加え、生き方の幅を広げることを同時に考えている場合が少なくないということなのだ。
当方の運営するNPO法人南房総リパブリックでは昨年、農業ボランティアの斡旋に取り組んだ。2019年に台風被害に遭った千葉県の南房総エリアの被災農家への支援が目的で、延べ60人程度のボランティアが訪れたが、中にはそれがきっかけで「ただ役に立つ」という行為で自分の心が満たされてボランティアがライフワークへと発展した人、農作業の楽しさを知るきっかけになり自分で畑を始めた人、二拠点生活を始める人などもいた。
ボランティアは自分のステータスを上げることには直結しない。だからこそ純粋に人と向き合い、場所と向き合い、営みと向き合える。評価に支配されない行為の価値を知ることは、生き方自体に影響を及ぼし、住む場所を変えるほどの力を持つ。
コロナ禍は、自分自身を生きる暮らしを取り戻そうとする動きに対しては、追い風として働いていると言っていい。
改めて「身体は資本」と感じる
人生が思ったより長々と続いている上の世代を見ていて、「座して動かず、使うは頭のみ」というホワイトカラー向けの教訓は崩れつつあるのではないかと感じる。脳味噌だけが己れであるような錯覚から徹底的に身体づくりを疎かにしていた足腰の動きが悪くなり、行動範囲が狭まってしまうという現実に直面する。
それを回避するためにできることは、意識して身体を使い続けることと思うようになる。
ところが、筆者は運動が得意ではない。運動会で活躍した覚えはないし、ウッカリ入部した高校ソフトボール部では大いに苦労した。だから体育の授業がなくなってからスポーツをしなくていいことが嬉しくて、文化系の楽しみに没入する人生を謳歌していた。そのまま仕事や子育てで忙しくなり、娯楽としてスポーツをする余裕などないままでいた。
その後、段階的に転機が訪れた。まずは二拠点居住を始めて週末田舎で暮らすようになり、身体を使って野良仕事をする楽しさを知った。週末ごとに額に汗して働く暮らしを14年続けているうちに、20代や30代よりも体調がよくなっていったことに気が付く。
次に、友人からの勧めでランニングをするようになった。足が遅いことで嫌な思いをした幼少期の記憶があって最初は気が乗らなかったが、走り始めてみたら存外楽しい。ちょっとずつタイムが速くなり、ちょっとずつ苦しくなくなり、長く走れることが分かってくる。そこで気づいたのは「比較されない運動」がこんなにも楽しいということだ。ずっと自分は「運動は嫌い」と思っていたが、嫌いなのは「勝負と表裏一体の運動」であり、身体を動かすこと自体は大好きだったのだ。
加えて、身体を動かすことでドーパミンの分泌が促され幸福感や意欲が増すことも体感している。べたっとデスクワークをしている時より仕事も捗る。
ちなみに、わたしをランニングへと誘った人物もまた、運動が得意とは言えなかったらしい。こどもに良かれと思って走り方を学ぶ講習に参加したら自分がハマってしまったとのこと。以降実力をつけてフルマラソンに何度も出場している。頑張ることを強制されるのは嫌でも、自分のペースで頑張り続けることは得意だったと気が付いたそうだ。走れるようになるとタイムが上がり、勝負さえも楽しくなる。