日本人選手のピッチは、世界上位選手とそんなに変わらないが、ストライドは小さい。ボルトの平均ストライドは、身長1.96mの1.4倍の2.76mに達するが、日本人は身長の1.3倍と短い。ストライドを数cmでも伸ばすこと、そしてピッチ数を少しでも増やすことが今後の課題となってきそうだ。100mのゴールまでの歩数は、桐生の場合47歩前後。仮にストライドを2cm伸ばしただけで1m、タイムにして約0.05秒稼げることになる。
桐生の走りは、足の使い方が良く、推進力がある。がに股気味に着地するのは、専門的には「外旋(がいせん)」といい、もっとも力を発揮しやすいとされる骨格の使い方である。そのほかにも、桐生は走るときじゃんけんのパーで走り抜ける。これは肩に力が入りにくい、リラックスした走りになることが科学的に証明されている。さらに、ゴールを過ぎてもその場で止まらず、50m以上走り抜ける様は、脳科学的に最後まで力を発揮すると言われる。
水泳の100、200mの五輪金メダリストである北島康介は、「フィニッシュと思った瞬間、力が入りタイムが遅くなる。フィニッシュと思わずに泳ぎ切ることが大事」と語っている。脳科学者の林成之・日大教授が北島らにアドバイスしたことである。
世界を知ることが最大の飛躍のチャンス!
では桐生が9秒台を出すためになすべき事は何だろうか。確かに、桐生は、疲れた時の腕の振り方、他のコースの選手が視野に入る終盤での走り方に課題がある。素人が見ていてもわかる。
これを克服する上で、重要なのは9秒台の世界のトップ選手が参加するレースの中で、もまれることだろう。その絶好の機会は6月30日に訪れた。
英・バーミンガムで行われたダイヤモンドリーグ。しかし残念ながら10秒55で予選落ちした。
「力不足」を痛感したというが、初の海外遠征による時差ぼけ、疲労蓄積、そして伊東、朝原ら先陣が苦しんだプレッシャーの中での闘いは、桐生の成長の肥やしになったことは間違いない。こうした高いレベルの世界を知る経験こそが、彼の飛躍の絶好のチャンスなのである。
100m競争の世界に果敢に挑戦し、36歳で迎えた2008年の北京五輪4×100mリレーで、悲願の銅メダルを獲得した朝原は、その年齢までスプリントに対するモチベーションを維持できた理由を著書『肉体マネジメント』でこう語る。
(1)積極的に海外に飛び出したこと
(2)他人任せにせず、自分自身で肉体マネジメントを続けたこと
(3)フォームよりも自分の体の「感覚」を重視し、それに合わせて練習メニューを変えたこと。最終的に自分の走り「体の中心(体幹)から動かす走り」を体得できたこと。
桐生は、若干17歳。朝原が五輪でメダルをとった36歳までは19年もある。欧米選手に比べ、身体的にはハンデはあるが、それを日進月歩の科学と、日本選手の伝統である自分の体の動きを察知する「感覚」が助けてくれる。桐生の成長の伸び代は大きい。山縣というライバルも身近にいる。日本人初の9秒台は時間の問題と言い切っていい。8月10日に開幕するモスクワ世界陸上で、桐生がどんな走りを見せるか、今夏の最大の楽しみの一つでもある。
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