今年88歳になる野中は「当時の状況を聞いた生き証人として明らかにしておきたい」と語り、同じ自民党研修会に出席し、当時、田中から同じ発言を聞いた中村喜四郎元建設相を訪中団に加わってもらった。「72年合意」への回帰つまり過去の「棚上げ」をもう一度再確認することしか、現在の日中関係を打開する道はないと感じたのだ。
食い違う日中政府の外交記録
野中発言については日本政府内で大きな波紋を広げ、菅義偉は「伝え聞いたことを確たる証拠も示さず、招待された中国でわざわざ発言することに対し、私は非常に違和感を覚えている」と憤慨したが、交渉に立ち会った栗山の証言と野中の「伝聞」は、符号する部分が多い。
では日中両国の外交記録ではどうなっているのか。
日本政府が公開した外交文書では田中が「尖閣諸島についてどう思うか? 私のところに、いろいろ言ってくる人がいる」と周に尋ね、周は「今、これを話すのはよくない。(尖閣諸島周辺海域に)石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」と答えて終わったことになっている。
しかし中国政府の外交記録では、「その続き」があることになっている。日本政府による尖閣国有化直後の2012年10月12日付『人民日報』を見て、ある中国政府系の中国人歴史研究者は、以前に見たことがある外交記録と同様の内容だったため驚いた。この研究者は、非公開の外交記録にアクセスできる立場にあった。72年の日中国国交正常化に関する外交文書は、65年までしか公開していない中国外務省档案館ではまだ非公開扱いである。
日中首相「またにしましょう」を確認
人民日報によると、周が「そこで海底に石油が発見されたから、台湾は大きく取り上げ、現在米国もこれを取り上げ、この問題を非常に大きくしている」と発言し、さらにこう続く。
田中「よろしい。これ以上話す必要はなくなった。またにしましょう」
周「またにしましょう。今回、我々は解決できる大きな基本問題、例えば両国関係の正常化問題を先に解決する。これが最も差し迫った問題だ」
人民日報に掲載されたやり取りは、日本の外交文書と比べ、より一層、両国の指導者が尖閣領有権問題の「棚上げ」で了解したニュアンスが強く、中国政府はこれを「棚上げ」合意の大きな根拠としている。実はこのやり取りは、国交正常化交渉に参加した張香山外交部顧問(当時、故人)の回想を基にしたものだ。