2024年11月22日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2023年6月3日

ANZASの意義の変遷

 クリントンという田舎町で筆者を自宅に泊めてくれたK氏は48歳の救急救命士。K氏はアフガンやイラクでは米国の戦争が失敗に終わっていると指摘。さらに朝鮮戦争、ベトナム戦争も結果を見れば軍事力で民主的国家を作ることはできなかった。他方で米国自身も経済的負担が大きい他国の戦争に介入することに次第に消極的になっている。

 こうしたことから今後は米国が戦争する場合でもNZは参戦するか否か慎重に検討するべきとの立場。仮に参戦する場合でも戦闘員ではなく軍医看護兵を派遣するとか後方支援部隊を送るというような方法で貢献すべきという。

 K氏の意見は他の多くのNZの人から聞いた話と重なっており現在のNZの人々がフツウに抱いている思いを代弁しているように思われた。

 元外交官氏も中国の台頭と米国のプレゼンス低下というパラダイムシフトを前提にANZAS条約の条項を見直す時期に来ているのではないかと個人的見解として吐露していた。

『ANZACの日』の記念式典、勲章を胸に飾った紳士淑女

右から歴戦の勇士の高齢男性、父君が英国王立空軍に志願したご婦人。二人の胸の勲章に注目

 4月25日の『ANZACの日』にはクライストチャーチ近郊で人口4000人のパパヌイ地区の退役軍人クラブの式典に参列。式典は朝9時スコットランド伝統のバグパイプ演奏で開始。200人ほどの戦没者遺族、高齢退役軍人は招待客として椅子に座っている。1000人超の人々が周囲を囲んでいる。

 次に高校生ブラスバンドによる演奏のNZ国歌に合わせてNZ国旗掲揚。NZ国歌を2人の地元女性が英語、次にマオリ語で歌った。そしてオーストラリア国歌斉唱と演奏でオーストラリア国旗掲揚。

 近くの英国国教会の牧師の祝福も英語のあとマオリ語で繰り返された。次にマオリ族の長老らしき老人がマオリ語で祝辞。それから通訳が英訳。NZの先住民族政策の理念である共生に則った式次第である。

 そして登壇した長身の現役陸軍少佐が在郷軍人の貢献に感謝の辞。NZ軍の現在の活動を報告する中で、アフガンでの国連平和維持活動中バーミヤンでNZ兵士3人が亡くなり、そのうちの1人が隣町の出身者であったことを紹介した。

NZは何のために戦ってきたのか、そして戦い続けるのか

 少佐の後、町長、在郷軍人会長が挨拶したが、この3人のスピーチのなかで何度も繰り返されていた言葉が胸に響いた:

 神聖な義務(sacred obligation),正義と自由のための戦い(fight for justice and freedom),平和と安全への貢献(contribution for peace and security),彼らが何のために死んだのか忘れないために(lest we should forget for what they died)

 情けないことに日本社会ではこうした言葉を公言すれば右翼、軍国主義として一蹴されたり敬遠されたりする暗黙の空気が未だに存在しているように思える。安全保障を議論しようとすると憲法第9条を守れと言う情念的スローガンが冷静な議論を封殺してしまうような圧力もある。

式典のあとは開放されたダイニングバーでパーティー

 式典が終わると参列者は三々五々と退役軍人クラブハウスへ入って行く。陸海空の軍服、沿岸警備隊の制服など様々な制服に身を包んだ青年男女がいる。一方で勲章を胸に飾った老齢の紳士淑女も多い。聞くと戦没者や物故した帰還兵の家族は故人が受勲したメダルを身に着けて参列しているという。
 
 クラブのダイニングバーやテラス席はビールやウイスキーなど飲み物を片手に談笑する人々で溢れている。飲み物や軽食など全て無料で参列者に提供される。
 
 帰り際に記念撮影している3人にメダルの由縁を聞いた。高齢の男性はマラヤ、ボルネオ、ベトナムの三つの戦争に従軍した歴戦の勇士。ご婦人の父親は第二次世界大戦でパイロットとして英国王立空軍に入隊。バトル・オブ・ブリテン、ドイツ空襲、そして南太平洋で戦ったと。筆者が日本人と知るとソロモン諸島では日本のゼロ戦と空中戦をしたと戦歴を披露。ご婦人は「でも今はこうして日本の紳士と楽しくお話しできるのは幸せなことです」と上品に微笑んだ。

以上 第2回に続く

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