2024年11月21日(木)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2013年9月17日

 中国はかつて70年代、80年代には司法の改革を試験的にすすめようとしたことがある。しかし、法の支配という実験はうまく進まなかった。共産党が、その正統性に挑戦されることに我慢できなかったからである、と論じています。

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 薄煕来裁判は一見公正・透明な裁判のような形をとっていますが、実態は共産党による裁判であり、ラムやWP社説のいうとおり、中国では法律は共産党の下にあります。

 本裁判は現在進行中であるため、断定的なことを言うのは時期尚早ですが、おそらく、薄の刑の軽重は各派閥の力関係で大体のところは決まっているのでしょう。それが決まったからこそ、習近平体制下で裁判開催にこぎつけたのだと見られます。

 派閥の力関係から見て、薄に対し軽すぎる刑罰を課すことは、共青団の流れを汲む胡錦濤の派が受け入れないでしょう。他方、もし重すぎる刑を課すことになれば、太子党のグループの中では、たとえ薄が習のライバルであったとしても、太子党全体にとって不利なものとなる。江沢民が薄煕来の後ろ盾になっていたという指摘は、想像の域を出ないが、実態に近いのかもしれない。

 今回の裁判で注目すべき点は、公正な裁判を印象付けるためでしょうが、異例にもインターネット(中国版ツイッター:「微博」)で裁判の模様が一部中継されたことであり、裁判内容が国民の目に晒される結果となりました。薄はこの状況下で、収賄、横領、職権乱用の大部分について、検察側の主張に対しほぼ全面的に対決姿勢をとったようであり、それはもともとのシナリオ通りではなかった可能性が高いです。

 一般国民から見れば、共産党最高幹部の生活の実態を知ると同時に、如何に党最高指導部が分裂しているかを垣間見る機会になったのではないかと思われます。文革以降では、これほどはっきりと「党の団結」という言葉が神話であることを見せつけた事例は無かったといえるでしょう。最近、習近平は政治局の会議において、「政治局員は党中央の指示に従うべし」との趣旨のスピーチを行ったと報じられていますが、かつては「党中央」こそまさに政治局そのものであり、こういう訓示など出て来るはずがありませんでした。習の言葉は今日、政治局のメンバーたちが決して一枚岩ではないことを雄弁に物語っています。

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