エラさんは今の雇い主である陳さん(仮名・83歳)のことを、親しみを込めて「グランマ」と呼んだ。陳さんもエラさんのことが気に入っているようで、私たちが英語で話している間、昔覚えた日本語を使い、
「エラ、サイコー!」
と笑顔で何度も割って入ってきた。
陳さんは夫を16年前に亡くした後、自宅マンションで1人暮らしをしていた。しかし、3年前にガンの手術で入院して以降、足腰が弱ってしまった。陳さんには4人の娘がいるが皆仕事が忙しく、母親の面倒を見る余裕がない。
日本であれば、介護施設に入居するケースである。だが、台湾では施設に入る人は多くない。陳さんの近所に住む友人で、通訳を兼ねて取材に同席してくれた台湾人女性(60代)が言う。
「台湾の介護施設は日本のように恵まれた環境ではないんです。私も親に介護が必要になった際、何件か見学しましたが、30人の入居者を1人の介護士が見ているようなところもあった。これではとても入れられないと思い、インドネシア人介護士を雇うことにした。介護士に住み込んでもらえば、マンツーマンで面倒を見てもらえ安心ですから」
女性のような考え方をする台湾人は多い。だから20万人以上の外国人が住み込み介護士として雇われる。現地の介護事情に詳しいコンサルタントの髙山善文氏が続ける。
「日本と比べると、台湾の施設は質の点でかなりバラツキがあります。日本のような介護保険もないので、施設に入居すると費用も高い。外国人介護士を雇った方が安く済むんです。また、親を施設に入れることに抵抗感がある人も少なくない」
台湾にとって外国人の住み込み介護士は、金銭面でもありがたい存在だ。外国人労働者の中でも、住み込み介護士だけは最低賃金未満で雇うことが認められる。
現在、台湾の最低賃金は月収ベースで2万6400元(約12万3000円)だ。それが住み込み介護士の場合、政府が別途、最低保証額を月2万元(約9万3000円)に設定している。家賃が必要なく、食費なども雇い主の負担だからなのだという。
雇い主は賃金に加え、月2000元の「就業安定費」(雇用税)などを支払う必要はある。それでも施設に入るより費用は安い。
エラさんの月収は、手取りで2万4000元(約11万1000円)程度だ。週1日認められる休日を返上して働いた残業代を含めた金額である。エラさんのように、休日を取らずに働く住み込み介護士は多い。
彼女は2014年に台湾で働き始めて以降、一度もフィリピンに帰国していない。
クリスマス休みを取るとグランマが心配
「今年の冬こそフィリピンに戻って、クリスマスを家族と一緒に過ごしたい。でも、私が長期で休みを取ると、1人になってしまうグランマのことが少し心配なんです」
エラさんは思いやりがあって献身的だ。介護士に向いた性格で、台湾のことも「ずっと住みたい」というほど気に入っている。だが、住み込み介護の現場では問題も少なくない。前出・台湾人女性はこう話す。
「中には、金品を盗んだりする介護士がいるんです。逆に、介護士が雇い主からセクハラやパワハラの犠牲になるケースもある」
自宅という閉ざされた空間で、介護が必要な高齢者と外国人の介護士が2人きりで暮らすのだ。しかも介護士には、中国語が十分に理解できない人もいる。さまざまな問題が起きるのも無理はない。
住み込み介護士の仕事を希望する台湾人など皆無に近い。つまり、台湾で定着している住み込み介護というシステムは、外国人介護士の存在なしには成り立たない。とりわけ介護士の8割を送り出しているインドネシアとの関係は重要だ。関係が悪化し、人材の供給が停止してしまえば、台湾の介護現場はいっぺんに崩壊してしまう。
住み込みであれ、また施設での就労であれ、介護の仕事が厳しいことに変わりない。だが、日本の介護施設で働けば、少なくとも勤務時間は台湾の住み込み介護よりは短く、プライベートの時間も持てる。そして収入も、台湾以上に見込めるのだ。事前に日本語を勉強する必要こそあるが、外国人介護士の就労先としての日本は、条件面で台湾に劣っているわけではない。
もちろん、台湾政府も外国人介護士たちの待遇には改善すべき点があることはわかっている。今後激化する日本との人材獲得競争も意識してか、最近になって賃上げに踏み切り始めた。