2024年7月18日(木)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2023年11月8日

 ハドソン研究所上級フェローのアーサー・ヘルマンは、ウォールストリート・ジャーナルに10月15日付で掲載された論説‘Echoes of the 1973 Oil Crisis’で、米国は、1973年の第4次中東戦争時に不用意に中東の石油に依存していた結果、インフレ率の高騰、経済成長の劇的な低下に見舞われたことを教訓に、エネルギー自給率を高めることに真剣になるべきである、と論じている。要旨は次の通り。

(Pla2na/gettyimages)

 第4次中東戦争が開戦した日に起きたハマスのイスラエルへの攻撃は、われわれに1973年の石油危機を思い出させる。第4次中東戦争は10月6日に始まったが、10月17日に石油輸出国機構(OPEC)は生産削減を行い、油価は高騰した。

 74年3月に禁輸措置が解除された時に油価はほぼ300%上昇していた。「ガソリン品切れ」は米国で見慣れた光景となり、米国政府は密かにガソリン配給券を印刷し(幸いに使われる事はなかったが)、ニクソン大統領(当時)は、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦(UAE)の油田を占領する軍事行動を検討した。

 73年の石油危機は米国が自国のエネルギー安全保障を諦めていたために危機的な状況を招いたが、このような状況は今日も存在する。米国は60年には10%しか原油を輸入していなかった。しかし、需要の増加と国内の原油生産コストの上昇の結果、73年の石油危機直前には原油の輸入は34%に上昇していた。そして、輸入される原油のほとんどは、緊張が高まっていた中東からであった。

 OPECが油価を上昇させると同時にOPECのアラブ加盟国は米国他のイスラエルを支援する諸国に対する禁輸を行い、世界経済も影響を受けた。73年12月28日にOPECは油価を再度引き上げた。

 1バレル当たりの油価は、73年1月の2.59ドルから73年12月には11.65ドルに上昇した。その結果、米国ではインフレ率が3.2%(72年)から11.04%(74年)に高騰し、経済成長率は5.6%(73年)から0.5%(74年)に低下した。

 しかも、アラスカで北米最大の油田が発見されたが、環境保護主義者により開発を阻止され、カリフォルニア沖の洋上油田の開発も凍結された。そして、1990年代後半のシェール・オイル開発技術の進展が米国のエネルギー自給回復の重要な第一歩となった。

 仮に米国が73年の石油危機から何か学ぶ事があるとすれば、それは、エネルギーの自給は、当たり前ではないことである。絶え間ない努力と政治的意志が必要であり、特にイデオロギーと私利私欲でエネルギー自給に反対する人々に負けない政治的意志が必要だ。さもなければ、われわれは、自分達の未来をわれわれの幸福を望まない国内外の勢力に渡してしまう事になる。

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 今回の出来事で簡単にアラブ産油国が再び石油戦略を発動して第3次オイルショック(第2次オイルショックは、イラン・イスラム革命の混乱時)が起きるとは考え難い。しかし、市場の不安感から更なる油価の高騰はあるだろう。


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