障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年10月3日

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 どちらも真面目にやっていなかったと笑う上地だが、習字は4年間、ピアノは6年間続けた。

ゴールが遠かった車椅子バスケ

 「私の障害は潜在性二分脊椎症といって生まれながらのものです。右は感覚が鈍くて、左は運動機能が鈍いんです。右は左に比べると動かすことができますので、階段などは右足を軸にして登っています。逆に感覚的なものはまばらで、数センチ離れただけでも感覚がなかったりするんです。自分でもいまだによくわかっていないんです」

 上地が普段の生活から車椅子に乗り始めたのは小学5年生からだが、車椅子バスケをはじめたのは4年生からだった。だが、体の小さかった上地にはバスケットのゴールが遠かった。シュートがまったく届かなかったのである。

 上地の言う「みんな」とは、いっしょにプレーをしている大人たちを指しているのだが、同じように出来なくて悔しい思いをしていた。そこへ本稿冒頭の「結衣ちゃんはネットにカスったら入ったことにしようか」が追い打ちをかけた。そんな時に姉が中学でテニス部に入ったのをキッカケに「私もやりたい」と思うようになってゆく。そこへ「兵庫県に車いすテニスのクラブがある」と教えてくれた人がいた。

 以来、車椅子バスケと車いすテニスを月に2回ずつ通うようになった。

 振り返れば小学生の軽い興味だったのかもしれない。

 だが、ここが人生のターニングポイントとなった。

車いすテニスで才能が開花

(c)Akira Ando

 「姉が立ってプレーしていたので私も同じようにやりたい」と車椅子を使わず立ったままテニスを始めてみたものの、上手く動くことが出来ず上地が立っているところへボールを出してもらっていた。半年間くらいは、それでも十分楽しかった。

 そんな上地の傍では車椅子を軽やかに操作してテニスを楽しんでいる人たちがいた。その速い動きに「すごい!私もあんなに速く動けるようになるのかな」と思ったり、「私もそろそろ車椅子に乗ってやってみようかなぁ」なんて口にしていた。それは立ってプレーするのが難しいと感じるようになってきたからだ。

 実際に乗ってみると、立っていたときよりも速く動けるので、車椅子を使う機会が増えていった。

 それに「バスケも好きなんですが、性格的にはチーム競技よりも個人競技のほうが合っていたんだと思います」と自己分析をしている。

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