小学生の頃、障害について嫌な思いをしたことは? という質問には、
「母とお買い物に行ったときに、なんであの子あんな変な歩き方するのかなと言われたことがあるんです。お買い物に行くことが好きだったのに、それ以来言われるのが嫌で「家にいる」と外出する機会が少なくなった時期がありました。小学校4年生くらいになるといろいろなことがわかってくるんですよ、だから外に遊びに出る機会も減ってしまったんです」と答える。
しかし、それも自分よりも重い障害をもった大人たちが、上地にもわかるよう障害について説明してくれたことによって意識が変わり、自分もそういう場面ではきちんと説明したいと考えるように変わった。
「腹が立つのは、小さい子供が『どうしてなの?』と聞こうとしているのに、お母さんが聞いちゃだめでしょと止めることです。小さい子たちはどんなことでも興味があるんですから、周りの人がちゃんと答えてあげなくてはいけないと思うんです」
初試合は敗れるも目標は達成
当時兵庫県内には3つのテニスクラブがあり、上地が所属する「神戸車いすテニスクラブ」は競技志向の強いメンバーが数多く在籍していた。同じ年頃の子も、女性も少なく周囲は大人の男性ばかりだった。
「年齢は30~40歳代の人たちが多くて、小学生を受け入れる体制が無かったので小さいのが入ってきたなぁと思われていたと思います。『おっちゃんたち疲れたからコートに入っていいよぉ~』ということでやらせてもらっていました(笑)。皆さんに可愛がっていただいていたので、どんどんテニスが好きになって、月に1~2回の練習が、同じクラブの選手が個人的に指導してくれるようになったのもあり、週に3~4回は通うようになりました。チーム練習だけじゃなく、クラブの選手の勧めで毎週水曜にはコートを無料開放して専属コーチが指導もしてくださるテニスクラブへ行き、スクールにも2年ほど通いました」
車椅子の使い方が上達するとネットを越えて打ち返せるようになり、嬉しくなって夢中になった。
初試合は地元の小さな大会だった。1回戦で負けて、敗者同士で対戦するコンソレーションに回っても1回戦で負けた。
この大会の目標は1ゲームを取ることだったので、大人を相手に表の1回戦で1ゲーム、裏の1回戦で2ゲーム取って目標は見事達成。上地の満足度も高かった。