一介のがん研究者であった私は、大学の運営などに興味はなく、東京大学医科学研究所所長への推薦も断ってしまったほどであった。そのような私が、何故か、出身地でもなく、知っている教授は4人しかいない岐阜大学の学長に選ばれてしまった。時はまさに、法人化が切迫しつつあった01年。「落下傘学長」は法人化前3年、法人化後4年という修羅場をくぐることになった。 法人化により大学の制度設計は大きく変わった。ポイントは次の6点。
・学長のリーダーシップによる大学運営(コンセンサス決定から脱却)
・理事会、監査に外部委員が参加。(外に開かれた大学へ)
・外部委員を加えた経営協議会(経営と教育研究の分離)
・公的会計の導入(会計の透明化)
・教職員の非公務員化(定員制の廃止)
・積算による予算の廃止(予算の戦略的配分が可能に)
しかし、法人化したにもかかわらず、文科省は依然として、国立大学をコントロールしようとしているし、予算を握られている大学は、文科省との関係をこわしたくないでいる。未熟な親子のように、いつまでも親離れ子離れができず、お互いに居心地のよい相互依存関係にひたっている。
理事、監事に外部の人材を登用することを国立大学法人法(法人法)は求めている。しかし、任命当日に当該大学に所属していなければ、外部の人と見なされる。そこで、文科省関係者を外部の人として総務理事に任命するのだ。本当の意味での外部の人材が1人もいない大学が、私の調べたところでは、33.7%(30/89)に上る。その中には、旧帝大系の大学が2校も含まれている。表面的には、法人法には違反していないかもしれないが、法の精神を無視しているとしか思えない。
●大学のあり方についての3つの提言
(1)国立大学は、法人法の精神を尊重し、外部の人材と意見を積極的に導入、改革を進める
(2)文科省は、国立大学の自由裁量を尊重し、規制を緩和し、認可事項を届出制に変更する
(3)文科省と国立大学は、居心地のよい相互依存関係から脱却する
内向きな大学の学長選考
法人化前、学長は教員の選挙で選ばれていた。しかし、法人化後、外部委員を含めた学長選考会議が学長を選考すると明確に規定された。法人法には、選挙という言葉はどこにも出てこない。それにもかかわらず、1校を除き、すべての国立大学は教職員の「意向調査」をしている。しかも、過半数に達するまで意向投票(=選挙)を繰り返す大学が多い。結果として、教職員の選挙で学長が決まってしまうことになる。私は、現在、ある国立大学の学長選考会議の委員として、このような方式に強く反対したが、委員の半数を占める学内委員が結束し、私の提案は一蹴されてしまった。
外国の大学、研究所などでは、最初に「サーチ委員会」を立ち上げ、広く候補者を探索してから選考に入る。このような選考方法であれば、最適な人材を外部から採用することができる。
学長選考は、大学人の意識を反映している。最近の調査によると、教員の95%までが、学長選挙を行うべきと答えている。大学人の意識を変えるには、先ず学長選挙をやめることである。