2024年5月20日(月)

プーチンのロシア

2024年3月6日

2005年、再びロシアへ

 ロシアの地を再び踏んだのは、1996年に帰国してから9年後の2005年だった。産経新聞の姉妹経済紙、「フジサンケイビジネスアイ」の記者となり、ワールドビジネス面を担当していた経緯から国営ロシア通信などと仕事上の付き合いがあり、ロシアの産業事情を広範に取材するプレス・ツアーの申し出があったためだ。

 決して、宣伝めいたことを書くつもりで行ったわけではないが、街の激変ぶりに度肝を抜かれた。

 モスクワ市内には欧米やトルコのスーパーマーケットの進出が相次ぎ、市民の携帯電話保有率は100%を超えていた。日米の自動車メーカーが工場建設に動き出し、家電店は主に韓国メーカーの家電であふれかえっていた。モスクワでは、1台十数万円もするテレビが売れ筋となるなど、新興経済国としての勢いに満ちていた。日本企業もロシア市場の開拓に本腰を入れ、さまざまな企業がロシア進出を推し進めていた。

 信じられない変化に愕然とする私を見て、通訳を務めた国営ロシア通信の若い記者の方が驚いていたほどだった。

 私は帰国後、「ザーフトラ(ロシア語で明日の意味) ロシア経済の明日」と題した6回の連載企画を執筆した。当時の記事には、そのような強い驚きが文章にあふれている。

「トヨタ自動車が日本の自動車メーカーの先陣を切ってロシアへの工場建設を決めたのを機に、対ロシア進出に慎重だった日本企業が熱い視線を送り始めた。ソ連崩壊から15年、原油や天然ガス、希少金属(レアメタル)などの資源輸出で経済発展を遂げるロシアは今、世界の一大消費市場に変貌しようとしている。欧米企業などに比べ〝出遅れ〟が指摘される日本企業の今後のビジネスの展開と、ロシア経済の明日の姿を現地に探った」

「強い指導者」プーチンの登場

 ロシア経済の急激な変化は、どのようにしてもたらされたのか。この9年間で起きた変化にはふたつの要素があった。ひとつは、エリツィン氏からプーチン氏に大統領の座が引き渡されたこと。そしてもうひとつは、原油価格の高騰だ。

 1990年代の混乱のロシアを率いたエリツィン大統領は、1999年12月31日に、突如辞任を表明した。エリツィン大統領のもとで、いったんは回復の端緒を見せたロシア経済だったが、1998年8月にはデフォルト(債務不履行)に陥り、街には再び失業者があふれた。


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