2024年5月20日(月)

プーチンのロシア

2024年3月6日

 しかしエリツィン大統領は、サンクトペテルブルクで副市長を務め、1996年にクレムリン(大統領府)のメンバーとなっていたプーチン氏をひそかに後継者と定め、権力の移譲に向け入念な準備を進めていた。大統領代行となったプーチン氏は2000年3月の大統領選で圧勝する。その背景には、エリツィン陣営による徹底的な選挙キャンペーン、メディア戦略があったが、いずれにせよエリツィン氏と異なり健康的で、精力的に業務をこなすプーチン氏は強い支持を受けた。

 エリツィン政権下でプーチン氏が首相に就任する直前の1999年には、ロシア南部チェチェン共和国の過激派が隣接するダゲスタン共和国に侵攻したが、これに対しプーチン氏は大規模な攻撃をかけるなど、「強い指導者」としてのイメージを国民に植え付けた。

 プーチン氏はさらに、モスクワで相次ぎテロ事件が発生したことを受けて、チェチェン共和国への軍事侵攻に踏み切る。過激派に対し、汚い言葉も使いながら徹底的な制圧を約束するプーチン氏の姿は、人々の心をとらえた。

 プーチン氏にはさらに、決定的な追い風があった。ロシアの主要輸出品である原油価格の高騰である。1990年代は1バレル=10~20ドル程度で推移していた原油の国際価格は、世界的な金融緩和を背景にした原油市場への投機資金の流入や、顕著となっていた中国の急激な経済成長による石油需要の増大、さらに2003年3月のイラク戦争の勃発などを背景に急騰。リーマン・ショック直前の2008年には一時的に約147ドルにまで上昇する。

 私が訪露した2005年は、依然としてロシア経済は回復途上であったとはいえ、急激な原油価格の上昇で急成長を見せていた。ロシアはそもそも、膨大な資源を保有する国家である。その国際価格が上昇すれば、経済が上向くのは当然だった。

 そして、国民はプーチン大統領を経済成長の〝立役者〟とみなした。これは、決して彼が成し遂げたことではなかったが、その恩恵に最大限あずかったことは明白だった。

「もう二度と、あのような混乱はごめんだ」

「民主主義」を旗印にロシアの初代大統領の座を射止め、国民生活を大混乱に陥れたエリツィン氏に対し、多くのロシア人は「二度と、あのような混乱はごめんだ」と胸に刻んだ。そして、エリツィン氏が頼ったのは西側諸国である。ロシア人の心には、欧米への拭い難い不信が植え付けられていた。

 そこに登場したのが、ソ連国家保安委員会(KGB)出身という肩書きを持つプーチン氏である。大統領就任当初は、欧米との連携も是々非々の姿勢で進めていたプーチン氏だが、次第に欧米との対立を深めていく。さらに、国内においては独裁的な姿勢を強め、メディアへの支配強化などを通じ、ゴルバチョフ氏が実現させた「言論の自由」に対する制限を加えていく。

 しかし、ロシア人の大半は、そのようなプーチン大統領の姿勢に強い疑問を持たなかった。「民主派」と呼ばれる勢力は排除され、ついには公然と〝西側のスパイ〟などとみなされるようになっていく。しかし、多くのロシア人はそのような事態に直面しても、プーチン大統領を支持しなくなることはなかった。

 前述のグレンコ・アンドリー氏はそのようなロシア人の心理を「独裁=安定と考えている」と断じる。その背景には、1990年代の強烈な原体験があり、「民主主義になれば、社会がどうなるかわからない」とロシア人が考えている実態がある。

 欧米に騙され、その手先となったエリツィン大統領はわれわれの生活を破綻に追い込んだ。二度と、そのような轍は踏まない──。

 そのような考え方は、今回の〝ウクライナ=欧米の傀儡〟とみなし、〝ナチス〟とまで言い切るプーチン大統領の発言と、強く同調していると感じられてならない。

了 連載をはじめから読む

<第1回>【ロシア人の本音】「戦争賛成が8割」の裏で動員に怯える18歳、国外脱出する人々、圧殺される反対の声 ……記者は戦時下のモスクワへと飛んだ
<第2回>【戦時下のモスクワ】国外脱出でしぼむ若者の声 開戦4カ月で市内の反戦ムードが沈静化した理由 根強い中高年層の「戦争賛成、プーチン支持」の現実
<第3回>なぜロシア人は「ウクライナはナチス」と信じるのか? モスクワで見た、プーチン政権の「歴史」と「戦争」の歪んだ教育……ソ連の栄光を学ばせられる小学生
<第4回>「ブチャはフェイクだ」陰謀論に染まったロシア人の30年来の友人、彼とともに現れた〝特務機関員〟らしき男……ロシア社会が「ウクライナ=ナチス」論を受容する背景とは
<第5回>【プーチン登場前夜】氷点下20度の中で食べ物や家財道具を売って糊口をしのぐ老人たち 道端には息絶えた人々も ソ連崩壊後のロシアを襲った地獄の90年代
<第6回>【プーチンが支持される理由】「エリツィンは欧米の手先」GDPマイナス14.5%の経済崩壊でロシア人が抱いた民主主義への失望 そして「独裁=安定」のプーチン登場へ

   
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