2024年4月26日(金)

佐藤忠男の映画人国記

2013年11月21日

 監督の東陽一が那賀郡東野上町(現海草郡紀美野町)出身である。主として劇映画を作っているが、ドキュメンタリーの名門の岩波映画で助監督修行をしている。だから最初に広く注目されたのはベトナム戦争に出撃してゆくアメリカ軍の巨大な爆撃機などを撮った「沖縄列島」(1969年)というドキュメンタリーだった。劇映画では寺山修司のシナリオによる「サード」(1978年)がまず面白かったし、「絵の中のぼくの村」(1996年)など、すぐれて抒情的でシンの強い作風で秀作が多い。

 SABUは和歌山市の出身である。和歌山県立東高校の高校生時代からバンドを結成し、上京した。まず俳優になり、大友克洋監督の「ワールド・アパートメントホラー」(1991年)では主演もしている。「弾丸ランナー」(1996年)で監督もやるが、これは主人公たち3人が、はじめから終わりまで走り続けているという変った作品で、以後もっぱら奇抜な映画をつくり、国際的にも知られるような存在になった。 (次は香川県)

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