日本の旧優生保護法のもとで、障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国に損害賠償を求めた裁判で、最高裁大法廷(裁判長=戸倉三郎長官)は3日、同法を違憲とする判断を下した。1950年代から1990年代に同意なく不妊手術を強制された人は約1万65000人に上るとされる。
旧優生保護法をめぐる裁判のうち札幌、仙台、東京、大阪5つの裁判の判決が、最高裁大法廷で言い渡された。
最高裁は、不法行為から20年が過ぎると賠償請求権がなくなるという「除斥期間」について「適用すべきだという国の主張は権利の乱用で許されない」として退けた。
そのうえで、高裁で勝訴した4件について国に賠償を命じる判決を言い渡し、原告の勝訴が確定した。
一方、宮城県の原告が起こした裁判については、訴えを退けた2審判決を取り消し、仙台高等裁判所での審理やり直しを命じた。
被害者たちは長年にわたり補償と謝罪を求めてきた。この画期的な判決により、正義のための戦いに終止符が打たれることとなる。
2019年にはようやく、被害者に対し一時金を支払う救済法が成立した。「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」は、被害者に一律320万円を支払うというものだが、より高額な賠償を求めて戦い続けた被害者もいる。
5件の裁判のうち、二審で原告が勝訴した4件で、国は賠償命令を不服として上告していた。
2019年の仙台地裁の判決では、同法を違憲とする判断が示されたものの、賠償については、手術から20年以上がたち「除斥期間」が過ぎているとの国の主張を認め、訴えが退けられた。その後、原告側は上告した。
旧優生保護法とは?
日本の優生保護法は1948年、第2次世界大戦後の再建時期に成立した。
法律の目的は身体障害者や知的障害者、心の健康を損なっている人たちが子孫を残すのを防ぐためだった。またハンセン病など、当時は治らないと考えられていた特定の病気の患者も不妊手術を強制された。
同法が施行されていた48年の間に少なくとも2万5000人が不妊手術を受けさせられ、うち少なくとも1万6500件で本人の同意がなかったと考えられている。
優生保護法に基づく不妊手術は1960~70年代が最も多く、1993年まで行われていた。1996年に「母体保護法」に改正され、優生手術の規定が廃止された。
(英語記事 Japan top court says forced sterilisation unconstitutional)