幼い娘を殺された母親が発した「驚きの言葉」
2009年に起こった台北市士林区の通り魔事件では2人が負傷、1人が亡くなった。殺人事件といえば、痴情のもつれや怨恨、金銭目的が主だった台湾犯罪史上において、この事件は台湾社会に大きなショックをもたらした。
2012年には台南市で、30歳の男がゲームセンターのトイレで10歳の男児を殺害。逮捕後に犯人の男が「ひとりふたり殺したぐらいでは死刑にならないから一生を牢屋で暮らす」「もし今日捕まらなかったら捕まるまで殺人を繰り返した」と口にし、これを機に死刑存廃問題が台湾社会で注目されるようになる。
2014年には、台北市のMRT(地下鉄)車上で4人が死亡、24人が怪我を負った衝撃的な通り魔事件「臺北MRT無差別殺傷事件」が勃発、また翌年2015年には小学校のトイレに隠れていた男に女児が首を切りつけられて死亡した「文化国小通り魔事件」が発生した。
そして2016年に起こったのが、內湖隨機殺人事件、通称「小燈泡事件」である。現場は、IT企業などが集まる台北郊外のベッドタウン。覚せい剤使用で服役したことのある男が、通りすがりの三輪車に乗った3歳の少女・小燈泡(豆電球という意味の愛称)ちゃんの首を菜切り包丁で、しかも母親の目の前ではねるという世にも凄惨な事件で、被害者は台湾の無差別殺傷犯罪史上、最年少だった。
小さな女の子が、路上で首をはねられた。これだけでもかなりショッキングな事件で、世間は騒然となった。最近までこの手の犯罪とは無縁だった台湾社会で、こうも悲惨な事件が数年のうち何度も起きてしまった。ネットやニュースは人々の悲鳴に近い言葉であふれ、誰もが「一刻もはやく犯人を死刑に」と叫んだ。
その夜、台湾社会に激震を走らせたのは犯人ではなかった。殺害された小燈泡(シャオタンバオ)ちゃんの母親・クレアさんがテレビカメラの前に出て、涙を流しながらも気丈に「犯人をこんな凶行に駆り立てた社会にこそ問題がある、二度とこんな事の起こらない安心な社会を作って欲しい」と政府に訴えたのである。
この映像を観た時のショックはうまく言葉で表せない。もしわたしが彼女の立場なら、半狂乱となってテレビで何か喋ることなんて不可能だろうというのが、その時の素直な感想である。おそらく多くの人々がそのように感じ、この時点では彼女の勇気に賞賛の声を送り讃えた。しかし、これだけでは収まらなかった。
手のひらを返すように母親を叩き始めた人々
事件をきっかけに激しく盛り上がった「反・死刑廃止」運動に対して、クレアさんが今度は自身のフェイスブックにこう書きこんだのだ。
「たとえ加害者が死刑に伏したとしても、小燈泡はもう戻ってこない。それよりも、一体なにが起こったのか、なにが犯人をそうさせたのかという真実を知りたい。あの子の死を、死刑推進に利用するのはやめてほしい。私は小燈泡ではないし、あなたも小燈泡ではない。誰も小燈泡の気持ちを代弁することは出来ない」
そんな死刑廃止支持とも取れる被害者遺族の訴えを目にして、世間は手のひらを返した。台湾社会で主流・保守と言われる人々、つまり反・死刑廃止の人々が、それまで向けていた同情を言葉の刀に持ち替えて、クレアさんを突き刺し始めたのである。
なぜか? 多くの人々にとって被害者家族、とくに被害者の母親というものは「悲しみで家の中に閉じこもり沈黙する」、もしくは「半狂乱になって犯人の極刑を求める」のが正しい姿とされているからだろう。