2024年12月22日(日)

栖来ひかりが綴る「日本人に伝えたい台湾のリアル」

2024年7月18日

 2019年7月に起きた京都市伏見区「京都アニメーション」放火殺人事件から間もなく5年を迎える。社員36人が亡くなった事件を起こした男には死刑判決が言い渡されたが、被告側は判決を不服とし、控訴して裁判は続いている。こうした凶悪事件が起きたとき、ネットではさまざまな声が被疑者、被害者問わずに投げつけられる。
 台湾で2016年に発生した無差別殺傷事件では、被害者遺族が当初発した言葉に多くの人々が称賛を送り讃えたが、後の発言を受けて一転、手のひらを返すように叩き始めた。不条理な凶悪事件が起きたとき、私たちはどのような行動、メッセージを発していくべきなのだろうか。2019年8月16日に掲載した『凶悪事件が起きた時、私たちはどのようにメッセージを発すべきか』を再掲する。
(yoshi0511/shutterstock)

 日本で起こる無差別殺傷事件が止まるところを知らない。

 2016年、神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に元職員の男が侵入し包丁などで入所者19人を殺害した。今年に入ってからは、5月に川崎市多摩区で起こった登校途中のスクールバスを狙った通り魔殺傷事件で18人が負傷、2人の命が奪われた。7月の京都アニメーション放火事件では、被害を受けた68人のうち現時点で35人が亡くなり、殺人事件の死者数として戦後で最も多いとも言われる。

(Gorodenkoff/shutterstock)

 この次はいつ、どこで起こるのか。だれが加害者で、だれが被害者となるのか。近頃は日本のニュースを見ていると、どこもかしこもが腐食して今にも手すりが落ちたり底が抜けそうな橋を渡っているような錯覚におそわれる。幼いころ、とても頑丈に頼もしく見えていたこの橋は、いつからこんなにも脆く、危うくなってしまったのだろうか。

 考えさせられたのは、川崎市19人殺傷事件で犯人が自ら命を絶ったことをうけて、ネットにあふれた「他人を巻き込むな」「死ぬならひとりで死ね」という怒りの言葉に対し、「ひとりで死ねと言うメッセージを控えるべきではないか」という論争が巻き起こったことだ。

 論争の元となったのはソーシャルワーカーの藤田孝典氏の発言で、「人間は原則として、自分が大事にされていなければ他者を大事に思いやることはできない」「メッセージを受け取った犯人と同様の思いを持つ人物は、これらの言葉から何を受け取るだろうか」と、社会から発せられる負のメッセージが次の凶行への連鎖となることへの注意を促した。ここで言われる社会からのメッセージについて筆者が思いだしたのは、2016年に台湾で起こった通り魔事件の被害者遺族「クレアさん」のことだった。

 「自己責任」という感覚が分断を生み続けている日本に比べ、助け合いの意識を残す台湾。じっさい、日本人が台湾に対して懐かしさや暖かさを感じる理由の一つは、そうした他人への共感力が社会に残っているからではないか、そんな記事を以前書いた。

日本人はどうして席を譲らないのか?——台湾の「同理心」と日本の「自己責任」から考える(nippon.com)

 しかし台湾でも、実は無差別殺傷事件が社会問題となっている。顕著となったのはさほど昔ではない、ここ10年ほどのことだ。


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