2024年11月22日(金)

絵画のヒストリア

2024年7月14日

 『イタリア紀行』が書かれたのは1817年で、この4半世紀の間に欧州社会はフランス革命とその反動の恐怖政治、独裁者ナポレオンの登場とその追放という、歴史を揺るがす激動が見舞っている。当然〈カリオストロ〉という詐欺師の暗躍からゲーテが受け止めた文化的な衝撃は時間の経過で変質しているはずだが、それでもパレルモという欧州の周縁が生んだこの〈山師〉の怪しい影は、終生彼の胸中にとどまっていたのであろう。

作家の終生までつきまとうことに

 〈カリオストロが先ぶれとなってヨーロッパにもたらされた「無秩序」、すべての階級と人物が自分の居るべき場所を見失ったと感じた無政府状態は、ところもコルシカ島生まれの青年将校ナポレオンの登場によって、すべての人間があるべき場所を見出すはずの皇帝独裁に転換された。亡霊が再帰し、沈める王国はシチリアではなくコルシカから、ふたたび浮上したのであろうか〉

 ドイツ文学者の種村季弘は『山師カリオストロの大冒険』(岩波現代文庫)でこのように述べている。文豪ゲーテと山師カリオストロ伯爵という、この時代の欧州の対極で向き合った二人の同時代人の虚々実々の〈対決〉は、ナポレオンの登場によってとどめをさされた、と。

 革命前夜の1789年末、〈カリオストロ〉はフリーメーソンを通した異端、背教行為のかどで異端審問法廷に逮捕され、ローマのサンタンジェロ監獄に収監されたのちに獄死した。

 ゲーテは『イタリア紀行』で、この〈山師〉生い立ちからその後の足取りを、故郷のパレルモの関係者の証言や訴訟文書をたどって重ねて振り返っている。

 ジュゼッペ・バルサモというパレルモの〈極道〉が〈カリオストロ伯爵〉を名乗って各地を遍歴し、神秘や奇跡を説いた。カリオストロは欧州の社交界を手玉にとりって詐欺を重ねるが、やがてその化けの皮がはがれる――。

 ゲーテはその足跡を、喝采から幻滅にいたる自らの内面の経験として記すのである――。

 〈しかし欺かれた者や半ば欺かれた者および他人を欺く者たちが、この男とその狂言を幾年ものあいだ崇拝し、この男の仲間に加わることを非常な誇りにすら感じ、そして彼らの妄信的な自惚れの高みから人間常識などを―軽蔑しないまでも―憐れんだりするのを見て、憤怒の念を禁じえなかったような理性的な人間にとっては、この文書はこのままでも十分に好個の記念物たるを失わないであろう〉

 大革命の波乱を遠ざけて疾風怒濤の同時代の浪漫の魂を探り続けた大詩人は、19世紀半ばまで長生したが、1790年には「首飾り詐欺事件」を素材にカリオストロをモデルにした5幕喜劇『大コフタ』を書いている。文明の転換期のカオスが産み落としたカリオストロというトリックスターの影は、ついに終生この作家に付きまとったのであろう。

 カリオストロやカザノヴァのような〈山師〉が紛れ込み、わがもの顔でふるまってにぎわったヴェネツィアの冬のカーニバルは、フランス革命で旧秩序が崩壊した8年後にナポレオン戦争でヴェネツィア共和国が崩壊すると禁止された。華やかな衣装とアイマスクで仮装した男女が、ひととき身分を離れて行き交い踊る12世紀から続いた真冬の風物詩もそれ以降、長い間この街から姿を消した。

ヴェネチアの冬のカーニバルは、フランス革命によりなくなった(Sepici/gettyimages)

 伝統が復活したのは20世紀の後葉の1979年である。仮面の意匠と奇抜な扮装を競う人々の賑わいはいまも変わらないが、ゲーテが探し求めたあの〈山師〉の影はもはやない。

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