ゆったりと黄色いドレスの裾を広げた中央の踊り子の目もとのつけほくろは、〈情熱的〉な性格を表す演劇的な記号(コード)である。
その前で朱色の帽子と服をつけて楽しげに踊っている若者は〈山師〉とよばれる流れ者で、都市貴族たちの社交の場に紛れ込んで人々の人気を集めて、時には成功者となった。
この伊達男の周囲では黒いアイマスクなどで変装した紳士淑女が入り乱れて、喝采を送っている。
ゲーテがヴェネツィアで仮面劇を繰り返し見て心を寄せた劇場や街角にも、おそらくこの画面と通い合う猥雑な華やぎが満ち溢れていたのだろう。
跋扈していた〈山師〉
ほどなくフランス革命によって混乱のるつぼを迎えるこの時代の欧州にあって、ヴェネツィアのカーニバルの殷賑は各地に跋扈する〈山師〉たちにとって格好の隠れ家(アジール)だった。
女性遍歴で名高いジャコモ・カサノヴァがその一人である。錬金術師を名乗って怪しい言説をふりまきながら社交界を渡り歩き、一時は名士として迎えられた。ヴェネツィアで投獄されたが、そこからの脱獄劇も冒険家の武勇譚に仕立てて出し物の十八番(おはこ)にした。
ゲーテがイタリアへの旅でその足跡を追いかけた「カリオストロ伯爵」と呼ばれた男も、おそらくカーニバルや貴族の社交の場に紛れ込んだ〈山師〉であった。シシリアの貧民出身でやはり錬金術師を名乗り、〈奇跡〉を説いて王侯貴族ら社交界に食い込んだ。後年、その名前をひときわ高めたのは、のちに革命前夜のフランスの王室の界隈で起きた、王妃アントワネットへの「首飾り詐欺事件」である。
亡くなった先王ルイ15世が540個のダイヤモンドを散りばめて愛人のために発注した首飾りを、王室御用達の宝石商ベーマーが王妃と親しいラ・モット伯爵夫人を介して王妃に取り入ろうとするロアン枢機卿に購入を持ち掛け、王妃への贈り物と偽って160万リーブルを詐取したという事件である。
首飾りは王妃に渡らずにバラバラにされて、ロンドンで売却されたことにより詐欺が発覚した。1785年に逮捕されたラ・モット伯爵夫人は事件を陰で操った首謀者として、当時社交界に暗躍していた「カリオストロ伯爵」とその妻のロレンツァを告発する。カリオストロは逮捕されたが、のちに釈放されている。
ゲーテは欧州各地に出没した〈カリオストロ〉の消息に予ねてから深い関心を寄せていた。
人間が名前を消し去って別な人間の顔を演じてみせるヴェネツィアの仮面劇から受け止めた感興は、カリオストロなる〈山師〉の仮面をはいで正体を探りたいという作家の気持ちをひときわ高揚させたのかもしれない。