米国に見られるある変化
日米の人的交流は必須
今年4月の岸田文雄首相の上下両院合同会議演説への反応が示したように、米国は激変する世界情勢と自国の実力・影響力の変化を踏まえて、日本をグローバルなイコールパートナーとして意識するようになった。これは1853年のペリー艦隊の来訪、1945年のダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官の厚木飛行場進駐と同様に、日米関係史における重要な出来事だ。日本にとっては、将来を見据えた国の「かたち」を見直す重大かつ絶好の機会が到来していることを意味する。換言すれば、日米関係史で初めて米国のパートナーとしての「抜本的な国家観の再構築」が迫られている。
日本がやるべきことは多い。人的交流の改善・強化は急務である。まず取り組むべきは、次世代の米国との関係を担う留学生の大幅な減少の反転だ。2000年前後まで4.5万人以上いた米国への留学生は04年から減少を続け、22年には1.6万人に縮小した。学費高騰やTOEFLの内容変化などもあるが、日米文化教育交流会議(CULCON)が長年議論しても改善の兆しが見られない深刻な問題である。
国会議員の交流も活発化させる必要がある。日本のバブル崩壊後、米議員の関心は、躍進する中国へ移り、1967年から94年まで開催された下田会議などを通じて築かれたような、重鎮議員間の信頼関係は薄くなっている。駐日大使を務めたウィリアム・ハガティ上院議員など日本に関心を寄せる議員が、晩年のダニエル・イノウエ上院議員が担ったような役割を果たせるように支援することも必要だろう。
財界人の交流活性化も望まれる。近年、日本企業の指導者が自社事業の枠を超える世界的な議論をすることが少なくなり、日米財界人会議は変容し、大局を踏まえた日米間のビジネスリーダーの関係も希薄化している。半導体など、最先端技術の日米間連携の動きは、両国のビジネスリーダーが貿易・投資政策を含む戦略的関係を構築する機会として最大限発展させるべきだ。
米国における日本および日米関係の専門家の養成・支援も、喫緊の課題である。米国の日本への経済的興味・関心が薄れたこと、米国の大学において地域学が軽視されていることなどから、日本の専門家の育成は遅れ、教員と科目が激減している。日本の外交と安全保障を専門とするインディアナ大学のアダム・リフ准教授によれば、トップ100大学の8割以上の大学が、現代日本の外交や日米関係に関する科目を一つも開講していない。このままでは次代を担う米国人との間で日本と日米関係の理解が進まず、日本がイコールパートナーの役割を果たそうとしても相手として機能する米国人が不足する事態も懸念される。
最後に第4次産業革命をもたらした最先端技術の開発を中心に、世界的に各国間の競争が激化している現実も直視する必要がある。国際社会は産業、軍事、技術、人材、文化などにおける各国間の競争関係が前提だ。筆者は欧州の国際会議に参加しながら本稿を執筆しているが、世界各国の出席者の発言から、気候変動、公衆衛生、国際規範などのグローバルな課題に対する協調を訴える一方で、自国の競争優位をいかに確保するかに腐心している様子が手に取るように伝わってくる。
米国では近年、社会が大きく「自我優先」に傾斜している。1970年代初頭から顕在化したリベラル派と保守派の価値闘争が激化し、社会が揺らいでいる。また、党派を問わない少数のエリートが政治権力と経済利益を独占する傾向も強まった。結果として、内政・外交問わずあらゆる政策に国民的合意が得られないほど、分断と対立が先鋭化している。
こうした傾向はSNSを通じて専門知識や事実に基づかない言説がインフルエンサー、セレブリティーを通じて増幅されることで深刻化する一方だ。
さらに、「個人の自由と権利」を社会や国家を上回る最重要事項として意識する風潮が強まったことから、人工妊娠中絶、性の多様性、移民・難民問題など、特定個人が最優先課題と意識する「シングル・イシュー」が幅を利かせている。こうした変化は政治にも反映され、民主党では極左、共和党では極右の発言力が増し、両党共に中道的な良識派が影響力を失ってしまった。結果として、大統領が代わるごとに内政・外交ともに指針や政策が大きく振幅する傾向が生じている。仮に今年11月の大統領選でトランプ前大統領が勝利すれば、内政・外交政策が再び劇的に変化することは確実だ。