2024年12月2日(月)

日本の漁業 こうすれば復活できる

2024年12月2日

三崎「海業」プロジェクトの光と影

 では、三崎の「海業」はバラ色に包まれているのかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない。総務省の資料によると、東日本大震災の影響などにより来遊客数の減少に伴い「うらり」の経常収支は赤字化、13年度まで低迷した経営状態が続き、経常収支の赤字は1095万円まで落ち込んだ。

 その後、京急が発行する「みさきまぐろきっぷ」のリニューアルに伴い同公社が運営する3施設がきっぷの利用対象となったことが契機となり来遊客数は増加、15年度には1356万円と、それまでで最高の収益を更新した。「うらり」が多くの観光客で賑わっている大きな要因の一つとして、それが関東の一大私鉄である京急の沿線かつ終点に位置していることを認めないわけにはいかない。

 海岸沿いの広大な土地を利用したリゾート施設プロジェクトも、現段階では少なくともその前途が洋々であると言い切れるに心許ない。三浦市の資料によると、そもそもこの場所は、漁港の大型化を目指し360億円を費やし海岸を埋め立てて造成、03年に完成したものの、誘致できた水産加工業者は1社のみのまま棚晒しにされていた土地だった。

 年5億円以上の造成費用返済は市財政を圧迫し、三浦市は財政規模に占める借金返済額の割合を示す実質公債費比率が18%を超える「起債許可団体」に一時転落していた。このため市は土地の利活用途を水産関連施設に加えて「海業拠点」とするように変更し、18年に民間業者と基本協定を締結、20年に26億7000万円で売却した。そもそもが、漁港を新たに整備したものの不良債権化したものを、用途を拡充して何とか売り切ったようなものである。

 24年11月現在の状況は以下の写真の通りであり、広大な敷地に浮桟橋とトレーラーハウスがぽつんとあるのみである。22年6月に開催された市議会における市側の答弁によると、このトレーラーハウスは浮桟橋の管理等の役割を果たすとのことである。

2つある釣桟橋のうちの1つ(2024年11月、筆者撮影)
2つある釣桟橋のうちのもう1つと浮桟橋の管理等の役割を果たすとされるトレーラーハウス(2024年11月、筆者撮影)

 22年7月から供用を開始された浮桟橋は、24年3月に開催された市議会の議事録によると、24年3月1日の段階での利用実績は19隻とのことであり、多いと言い難い。年に一度同地区でイベントが開催されているようであるが、この「海業」プロジェクト全体を成功事例と言うには尚早過ぎると言えよう。

 なお同土地の譲渡契約を審議した20年3月の三浦市議会の議事録によると、契約後10年間は当該土地の第三者譲渡はできないが、それ以降についての縛りはなく、市が売買契約により譲渡したこの土地の第三者譲渡を阻むことはできない。

どこも変わらぬ「金太郎飴」になりはしないか

 以上のように、先進事例としてもてはやされている三崎ですら、必ずしも全てが順風満帆だったわけではない。また「海業」を目指そうとする全ての漁港が、三崎のような条件の下にあるわけでもない。

 その一方、水産庁が主導し22年に閣議決定された「漁港漁場整備長期計画」によると、今後5年間で漁港における新たな海業等の取組をおおむね 500 件展開することが目指されている。漁港に関しては、その利用範囲が地元の漁業を主とする漁港は市町村が、それ以外の漁港は都道府県がその管理者となる(漁港漁場整備法第25条)。全国には約2800の漁港があるが、主管する水産庁の責任者である漁港漁場整備部計画課長が22年3月に開催されたオンラインセミナーで語ったところによると、これら全国の漁港の管理者は450程度であり、「それぞれの地域で新しい取り組みを一つはやっていきたい」という趣旨とのことである(水産経済新聞2022年3月30日「水経×漁村女性オンラインセミナー 水産庁漁港漁場整備部計画課長 田中郁也氏」) 。

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