ヒットメーカーの舞台裏

2014年3月21日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 プリペイド市場を主体とするハイドロは、昨年にソフトバンクによる買収で注目された米国3位の通信事業者、スプリントのグループ企業でまず発売された。13年には米国最大手のベライゾン、4位のTモバイルUSなどへの供給も始まり、もう一段の飛躍へと足がかりを固めている。

 能原は1988年の入社以来、一貫して通信機器分野に従事してきた超ベテラン。この間の4半世紀は「電話」の技術が飛躍的に進化し、事業者の栄枯盛衰も目まぐるしい変遷を見せた。超ベテランの戦略は、そうした変遷のただ中に身を置いて刻まれた蓄積から、絞り出されていると見た。北米で健闘するも、「まだ4番手」というのが能原の認識。「シェアアップのチャンスがあるということであり、当然、さらに上を目指していく」と、闘争心も絶やさない。(敬称略)

(写真:井上智幸)

■メイキング オブ ヒットメーカー 能原 隆(のはら・たかし)さん
通信機器関連事業本部マーケティング部長

1965年生まれ
富山県高岡市に生まれる。6歳上の兄が中学校入学後にギターを買ったこともあり、小学校低学年のときにはギターを弾くことができた。小学校の卒業を祝うパーティーでは、先生、父母、同級生にギターの腕前を披露した。中学校・高校でもバンド活動に明け暮れ、高校生のときは真剣にミュージシャンになることを考えていた。
1984年(18歳)
名古屋大学文学部哲学科へ進学し、社会学を学んだ。音楽以外に当時流行していたビリヤードにも熱中した。就職活動では、当初マスコミを志望したが、意外と自由度が低く、型にハマっている印象を受けたため方針を転換。自由な社風でチャレンジできる環境の企業を探した。当時、京セラはDDIを立ち上げるなど、挑戦する風土があると感じたため、入社を決意。
1988年(22歳)
入社後最初の配属は、コードレス電話の営業。当時の通信事業部門にはコンシューマー向け製品の営業ノウハウがなかったことから、コードレス電話の需要がありそうな理容店・美容室に片っ端から電話をかけた。その後に携わったPHS事業では、端末だけでインターネットにアクセス可能な、当時としては画期的な製品だったデータスコープやビジュアルホンの商品企画を担当した。05年からマーケティングも手掛ける。週末など、時間を見つけては大学生のときに購入したギターを弾く日々を送る。

◆WEDGE2014年3月号より









 

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