2024年4月19日(金)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2014年3月14日

 一つだけ、ド・ゴール外交が成功だったと思うのは、外交関係樹立になんの条件も受諾していないことです。その後の米中、日中正常化の交渉は、「一つの中国」を認めるか、認めないかの表現上の問題、米国の場合は対台湾武器供与をめぐる表現等など、台湾問題をめぐる字句について厳しい交渉を繰り返しています。この論説によれば、その後中国は、フランスは台湾を切り捨てたと主張している由ですが、フランス側はその点何ら言及しないで済んでいるようです。

 1972年以降の日中正常化交渉については、いまだに釈然としないことがあります。どうして、アメリカに約束したように、田中訪中は、先方の意向を確かめるだけにして、その後の対中政策について日米歩調を揃えなかったのでしょうか。キッシンジャーの秘密訪中でアメリカが先に裏切ったからだと言うのが、日本の政府、マスコミ、世論の態度でしたが、それは私怨を戦略と混同しています。

 結果として見れば、台湾切り捨ての先鞭をつけたのは日本でした。現に1972年から1979年までワシントンには、五星紅旗と青天白日旗の両方が翻っていました。日米共同戦線が維持できていたならば、その状況は続けられたと思っています。

 外交関係を正常化して欲しいのは中国側でしたので、日本は強い立場で交渉できたはずですが、当時の滔々たる世論の勢いで日本政府当局は初めから弱い立場で交渉に臨んでいました。

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