「あの年は優勝するつもりだったんです─」
そう言って、小野俊介さん(58)は、一番のお気に入りの場所に連れていってくれた。そこは、センターハウス1階レストランのテラス席。心地よい風が体を通り過ぎていく。
センターハウスから変わり果てたグラウンドを眺める小野俊介さん
(撮影・編集部)
(撮影・編集部)
「夏には、赤提灯がかかったりしてね。バーベキューもやりました。ビール飲んで。正面のあの美しい芝を駆ける選手と行き交うサッカーボールを眺める。最高だったなあ」
正面。そこにもう、芝はない。視野一杯に広がる11区画のグラウンドは、むきだしの土にアスファルトや砂利が撒かれ、膨大な数の車両が停められている。鉄板が敷かれ、資材置き場と化したグラウンドも見える。フェンスにかかる横断幕が、わずかにサッカー場の面影を残すのみ。ちょうど勤務の交代時間だったのか、車の出入りがせわしない。
「これでも、随分落ち着いたんですよ」と、小野さんは言う。
東京電力福島第一原子力発電所から南へ約20キロ、広野町と楢葉町の境に位置するJヴィレッジは、震災直後から事故処理の前線基地となった。13年からは東電の福島復興本社がセンターハウスに入居。同年6月末には、スクリーニング(放射性物質による汚染の検査)と除染の機能が第一原発に完全に移管され、現在は自家用車で乗りつける1日約2000人の作業員が班に分かれてバスに分乗する中継基地となっている。
これだけ大量の人と車を捌ける代替地はそう簡単に見つからないのか、東電は18年までの「返還」を新総合特別事業計画に盛り込んだ。誤解されがちだが、Jヴィレッジは東電の負担で施設整備されたが、県に寄贈されたため東電の資産ではない。土地は両町、建物は県の所有で、現在は東電が「借りて」使用している。