ヒットメーカーの舞台裏

2014年6月10日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 当初、吹き出し部の断面は長方形だったが、掛けぶとんとの間にできる隙間で、温風がうまく流れなかった。5パターンほどの試作を重ねた結果、上辺より底辺が長い台形がベストと分かった。ただし、ファンを1個から2個に変える必要があり、設計はほぼ全面的に見直すこととなった。さらに、安全面の検討を進めた結果、更なる仕様変更にも踏み切った。何しろ、従来にない構造なので、「子どもさんが踏みつけた場合や、想定外の使い方にも備える必要があった」のだ。

 本体のヒーター部は大人が誤って踏んでも耐えうるような鋼板部品でカバーした。温度などのセンサーも多く用い、安全確保のための制御に万全を期した。さらに、在来品ではニクロム線ヒーターを使うのが普通だったが、異常時でも温度が一定範囲から上昇しない特殊なセラミック製ファンヒーターを新たに採用した。岩本は、以前開発に携わった製品がリコール対象になったことがあった。自ら製品回収にも赴き、そこで顧客からの「象印ブランドへの信頼感や期待」を強く感じ取ったという。今回は、そうした苦い経験も含め、「すべてぶつけることができた」と、会心の笑顔を見せた。(敬称略)

(写真・井上智幸)

■メイキング オブ ヒットメーカー 岩本 雄平(いわもと・ゆうへい)さん
(象印マホービン 第二事業部)

1978年生まれ
愛知県豊田市に生まれる。父の転勤に伴い、岐阜県、大阪府へ引っ越したが、小学校からは石川県に定着。幼少のころはジグソーパズルを好んだ。「昔から何かに没頭する性格」だった。
中学校ではバレーボール部、高校ではラグビー部に所属。同時にバンド活動にも精を出し、オリジナル曲を武器に、アマチュアコンテストで北信越大会に出場したこともある。ベース担当で、当時憧れていたバンドは「JUDY AND MARY」。
1996年(18歳)
京都大学工学部機械工学科へ進学。専攻は熱システム工学だったが、「勉強した記憶がない」こともあり、大学院進学時に1年間浪人した。入学してから大学院を卒業するまでの7年間、京都市内のマクドナルドで働いた。また、水泳サークルに所属した。
就職活動では、当初は自動車メーカーを志望したが、「製品の一部でなく、全体を手掛けたい」という思いから、家電メーカーを志望するようになり、最終的には象印を選んだ。「この製品はパパが作ったんだ、と将来子どもに言いたかった」。
2003年(25歳)
入社後、除湿乾燥機の設計・開発を担当。10年から「隣の部署だったので気になっていた」というふとん乾燥機の開発チームに加わった。さっそく手掛けた商品でヒット作を生み出した。

◆WEDGE2014年5月号より









 

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