2024年6月14日(金)

中国メディアは何を報じているか

2014年5月13日

 習仲勲の再評価と胡耀邦はどう関係するのか。『党史博覧』誌は、葉剣英、王震こそが習仲勲問題に少なからぬ心血を注ぎ、習仲勲のために名誉回復を求めた人物と指摘している(一般的に言われるような胡耀邦ではなかったと主張したいのだろう:筆者)。「薄一波の名誉回復は党の11期3中全会で試みられたが、実際には胡耀邦の地位は高くなかったため、決定的役割を果たすことは不可能だった」という。

胡耀邦に対する元老たちの不満

 胡耀邦が指導者だったのはわずか7年間で、その時期さえ実際に舵を取っていたのは鄧小平であり、厳密には彼は鄧小平の下で実務を担当していただけだ。彼が主張したとされる「民主、自由」は、実際には「資産階級自由化」を目指すもので党と国家には有害無益だ。もし彼が人心を得ているというならそれは一部の資産階級右派の心に過ぎない。

 胡耀邦は当時、大寨(「農業は大寨に学べ」という毛沢東が率いた社会運動:筆者)に反対し、大規模な農耕田や水利建設にも反対したため農民出身の陳永貴副総理(1915-1986年)は大いに不満だった。陳副総理は胡耀邦を「胡乱邦」(めちゃくちゃで国を乱す:筆者)と蔑んだ。改革開放以来の実践では農耕地、水利建設を重視せず、自然災害を抑制する力は減退した。陳永貴は正しく、胡耀邦は誤っていた。

 彼が「4つの基本原則」※4を主張せず、資産階級自由化への反対にも力を入れなかったことから鄧小平、陳雲、李先念、王震、薄一波、彭真、余秋里、楊尚昆(元老と呼ばれる天安門事件当時権力を持っていた老人たち:筆者)は皆彼に不満だった。「左派の王」と呼ばれた故喬木、鄧力群は言うまでもない。中央で彼を支持したのは、趙紫陽、万里等数人に過ぎず、立ち上がって彼を支持したのは皆無だった。

 胡耀邦は毛沢東の信仰者たちへの政治的粛清を行った。その範囲は広く、鎮圧は壮絶で悲惨で、建国以来例のない政治運動だった。資本家や腐敗官僚、漢奸(中国的売国奴の呼称:筆者)に自由と人権を与えた一方、毛沢東信仰者には自由と人権を与えなかった。これが彼のいう「普遍的価値」だ。

※4 60年代から70年代にかけて中国全土で起きた「文化大革命」の混乱後に1979年に鄧小平が提起した原則。「社会主義の道の堅持」、「人民民主主義専制の堅持」、「中国共産党の指導の堅持」、「マルクス・レーニン主義の堅持」を指す。


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