2025年12月6日(土)

終わらなかった戦争・後編サハリン

2025年8月7日

「もう、中国に帰ろうと思っています」

 日本名を名乗りながら日本語はたどたどしく、中国語を話すとにわかに水を得た魚のように元気になる人々。接点があってもその輪郭を太くしようとは思わなかった。そんな彼らと、私が初めてきちんと向き合ったのは2000年のことだ。

 週刊誌の企画で中国人犯罪を取り上げ、その連載第2回のテーマを、残留孤児になりすまして密入国する犯罪組織としたことがきっかけだった。

 未整理の古い名刺の束をひっくり返し、手帳の住所録を丁寧にめくり返し、手当たり次第に残留孤児とのルートをたどって3人の女性とつながった。ざっと10年のブランクを経た再会だった。みな快く取材に応じてくれ、楽しい現場だったが、別れ際になぜか2人が同じことをつぶやいたのだ。

 「もう、中国に帰ろうと思っています」

※こちらの記事の全文は「終わらなかった戦争 サハリン、日ソ戦争が 戦後の日本に残したこと 戦後80年特別企画・後編」で見ることができます。

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Wedge 2025年8月号より
終わらなかった戦争 サハリン、日ソ戦争が 戦後の日本に残したこと
終わらなかった戦争 サハリン、日ソ戦争が 戦後の日本に残したこと

1945年8月15日。終戦記念日として知られるこの日に、終わらなかった戦争があった――。樺太(現ロシア・サハリン)での地上戦、日ソ戦争である。
「沖縄が〝唯一〟の地上戦」と言われるが、北海道のさらに北、日本領「南樺太」でも地上戦があったことは広く知られていない。
8月9日以降、ソ連軍は、日ソ中立条約を一方的に破棄し、侵攻。8月15日を経てもなお、戦闘は終わらなかった。この間、多くの人が亡くなり、沖縄戦同様、死の逃避行や集団自決もあった。長らくサハリンに残留を余儀なくされ、ソ連崩壊後にようやく日本に帰ることができた人もいた。
終わらなかった戦争は戦後の日本に何を残したのか。また、現代においても、様々な困難が立ちはだかる日本とロシアの関係はどうなっていくのか。
未来を切り拓くために過去の悲劇を学ぶとともに、歴史の忘却に抗いたい。


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