満州に住み、戦後置き去りにされた日本人の子どもたちを、中国の人々は激動の時代の中で育て上げた。日中間には様々な困難があるが、こうした歴史的事実にも目を向ける必要がある。「Wedge」2025年8月号に掲載の特集「終わらなかった戦争 サハリン、日ソ戦争が 戦後の日本に残したこと 戦後80年特別企画・後編」の内容を一部、限定公開いたします。
今にして思えば──。
そんな思いを繰り返し、修正を重ねてきた。中国残留孤児に対する私のイメージだ。
残留孤児とは、国策として進められた満州(現・中国東北部)移民が、関東軍に見捨てられ、逃亡と混乱の中で親と(死に)別れ、置き去りにされた日本の子どもたちのことだ。
1988年、日本に永住する25世帯105人が成田空港に到着したときの様子(THE ASAHI SHIMBUN)
1980年代に中国へ留学し、帰国後は週刊誌の記者として国内を奔走するかたわら、余暇時間に中国を取材し続けていた。その頃の私は行く先々で残留孤児や二世と接点を持った。
警察に雇われた中国籍の犯罪者の通訳。残留孤児が日本の生活になじむための手伝いをする帰国者支援事業のスタッフ。80年代から90年代にかけて創刊ラッシュとなった中国語新聞(在日華字紙)の編集部。そして在日中国人の集いなどだ。
だが、どの場面を思い返しても彼らの記憶は薄い。若さのためか、それとも週刊誌記者として残留孤児の問題は「新聞記者が書けばよい」と考えていたのか。日中の歴史問題のように優等生的結論しか許されない息苦しさも感じ、無意識に残留孤児という存在やテーマを敬遠していたのかもしれない。
何より、戦争の匂いを引きずる彼らの存在は、バブルが弾けてもなお、世界第二位の経済大国の余勢にすがろうともがく日本の雰囲気とは埋めがたい溝があった。
