2025年12月5日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年8月10日

アジェンデ政権を支えた若きテクノクラートの悲劇と家族縁者の分断

 3月27日。ベルリン在住のドイツ人学生クララとバルパライソのホステルで歓談。彼女が読んでいる本の表紙に“アジェンダ”とあった。聞いてみるとサルバトール・アジェンダ大統領の姪のイサベル・アジェンダが書いた小説でアジェンダ大統領や政治とはまったく無関係の小説らしい。

 クララの祖父はドイツ系チリ人でチリ南部のドイツ植民団の子孫。現在79歳。理想主義者でマルキストだったようだ。大学で農業経済学を学び卒業後すぐに当時発足したアジェンダ社会主義政権を支えるべく農業省に奉職。どうも大地主から土地を収用する農地改革に従事したもよう。当時農地の40%が国有地になったというほどドラスチックな改革で地主など保守勢力が猛反対した政策だった。

 クララの祖父はアジェンダ政権崩壊後にピノチェト軍事政権下での弾圧を逃れ西ベルリンに亡命。そこでクララの祖母となる女性と結婚。その後離婚してサルバトール・アジェンダの祖先の土地であるスペインのバスク地方に移住して別の女性と再婚した。

 クララの祖父は体が弱く現在では電話で話もできないほどらしい。病弱の原因はピノチェト政権下で拷問を受けたからではないかとクララは推測した。そんな事情から祖父に関する話は祖母から聞いた事柄が大半である。他方でクララは半年ほどチリ南部の祖父の出身地の親類縁者を訪ね歩いてきた。

 分かったのは祖父が大半の親類縁者と疎遠又は絶縁になっていることだった。ピノチェト政権時代に祖父と関りがあると体制側からアジェンダ支持派と見做され脅されたり様々な不利益を被ったりする恐れがあった。そのため疎遠・絶縁になったのだ。クララは祖父の妹に会ったが妹ですら絶縁していたと聞いて当時の弾圧のすさまじさを知った。

アタカマ砂漠。チリ北部は乾燥地帯が広がる。銅鉱山もこうした乾燥地帯に ある。

1973年のクーデターを肯定する『現代チリの国民の審判』

 しばしば政治家は「政治家の仕事は歴史が審判する」というがアジェンダ社会主義政権とピノチェト軍事独裁政権についての現代の国民の審判はどうなのか。筆者はチリの市井の人々から個人的見解を聞いてみたが今一つ確信が持てなかった。

 4月11日。チリ北部の砂漠のオアシス、サン・ペドロ・デ・アタカマのホステルでフランス人カップルと本稿の首題について意見交換した。男性はプロセス・エンジニア、女性はスポーツイベント・コーディネイターというインテリだ。スペイン語は筆者より格段に流暢である。欧米人は一般にスペイン語のレベルが高い。彼らによるとフランス語とスペイン語の語源が近く共通語彙もあり学習が容易らしい。

 1年間南米を旅してきたカップルは「今日のチリではピノチェト政権時代を評価する人が過半のようだ。サンチアゴの“記憶と人権の博物館”(Museo de la Memoria y Derecho Humanidad)はピノチェト政権下での人権侵害・反対派弾圧に関する大規模な国立博物館だ。観覧者へのアンケート調査の回答も公開されている。回答にはピノチェト時代の経済、治安を評価するコメントが少なからずあった」と語った。

 調べるとピノチェト政権下での恣意的逮捕、拷問、強制失踪、暗殺、処刑に関する資料、文書、写真、被害者の遺物などを総合的に展示している博物館だ。惨い展示を見てもピノチェト時代を評価する参観者が少なくないようだ。

 2023年は軍事クーデター50周年にあたり左翼ホリッジ大統領政権による追悼式典が開催された。同時に実施された世論調査では「クーデターに関心がない」という無党派層が60%、「アジェンデ政権に問題があった」(つまりクーデターを肯定する意見)が40%超という結果だった。半世紀前の歴史は風化してむしろクーデターによる軍事政権発足を肯定する意見が半数近いというのが歴史の審判なのだろうか。

以上 次回に続く

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