医師が惚れる患者 ― 共闘者という存在
医師は科学者であると同時に、人間である。彼らが心から闘いたくなる患者には3つの特徴がある。
- 自らの病を学び、共に考える人=医師任せにせず、治療の背景を理解しようと努める。素直で的確な質問をするその姿勢は、“共闘者”の証である。
- 正直で率直な人=痛みも不安も隠さず、誇張せず、淡々と伝える。医師は欺瞞を嫌うが、正直な弱さには深い敬意を抱く。
- 希望を言葉にできる人=「先生のおかげで助かりました」。「次の検査が楽しみです」――この一言が医師の背中を押す。
医療の原動力は、患者の“生きる意志”なのである。主治医にとって、応援したくなる患者とは、共に戦う戦友のような存在である。その信頼の絆が、奇跡を生む。
相性という“見えない波動”
病院にも“気”がある。照明の色、廊下を歩く看護師の足音、朝の回診での医師の声のトーン。それらの総和が、その病院の波動を作る。患者が「ここなら任せられる」と直感するかどうかが、生死を分けることさえある。私は国立がんセンターに心から感謝している。誠実と情熱が隅々に宿る病院だった。
だがもし相性が悪かったなら、勇気をもって病院を変えるべきである。命にとって、礼儀よりも納得の方が大切だ。病室は人生の鏡である。病棟という舞台には、実に多彩な人間模様が織りなされる。沈黙の哲学者、怒りの評論家、笑う道化役、泣き虫の詩人。皆、白衣の天使たちと共に、生と死の狭間でそれぞれの劇を演じている。退院を前にした朝、私は静かに思った。
「この53日間は旅だった」と。行き先は“健康”ではなく、“心の成熟”であった。嫌われるか、好かれるか、運を掴むか――その差は病名ではなく、人間性で決まる。病気は平等に襲うが、向き合い方は十人十色である。
治される人から、治す人へ
真に強い患者とは、医師に頼るだけでなく、治療の共同演者になる人である。医療とは、他力本願の場ではなく、共働の芸術だ。病は敵ではなく、人生の師である。その教えを感謝と笑いで受け止めた者にこそ、運命は微笑む。好かれる患者とは、病をも味方にする術を知る人のことだ。すなわち――病室にあっても人生を創る人である。退院の日、主治医が言った。
「中村さんがいなくなると、寂しくなりますね」
長いようで短い53日間であった。私にとってそれは、治療の時間ではなく、“心を磨く旅”そのものであった。
(山師のガンファイター特別編)
