2025年12月5日(金)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2025年10月18日

(skaman306/gettyimages)

宣告 ― 運命との対峙

 2024年の年末、私は主治医の静かな言葉を聞きながら、重い現実を受け止めた。「大腸がんステージ4」──その響きは、冷たい鉄のように心に突き刺さった。

 この瞬間、私の人生は再び戦場に立ったのである。長年、世界中の鉱山や取引現場を駆け回り、数々の危機を乗り越えてきた山師として、私は戦うことに慣れていた。しかし、今回の敵は見えない。体内に潜むがん細胞という最強の敵である。

 私は医師団と相談の上、9クール、すなわち27週間にわたる抗がん剤治療に挑む決断を下した。吐き気、倦怠感、手足のしびれ。容赦のない副作用と向き合う日々であった。だが、奇跡は起こった。CT画像の中で、がん細胞は確かに縮小していたのである。

 しかし、その喜びも束の間、転移したがんは完全には消えなかった。医師の説明は冷静であった。「化学療法で抑え込めても、根絶は難しい」。私は理解した。完全勝利を得るには、外科手術という最終戦に挑むしかない、と。

決断 ― 命を賭けた選択

 抗がん剤によるマラソン治療を一生続けるという選択もあった。だが、私はそれを選ばなかった。「体力のあるうちに、勝負をつけよう」と心に決めた。

 年齢との闘いもまた、がんとの闘いである。77歳という年齢を考えれば、10時間を超える手術に耐えうる体力は、今この時を逃せば失われてしまうかもしれない。命を削るような選択であることは百も承知だった。だが、生きるも死ぬも、自らの意志で決めたい。それが私の人生哲学である。

作戦会議 ― 医療最前線の戦士たち

 大腸がんの主治医・S先生を中心に、外科・麻酔・看護・リハビリなど、25人にも及ぶ医療チームが結成された。ICU(集中治療室)には15人の医師団が待機し、手術時間は10時間を超えると予想された。大腸がんを約20センチ、肝臓がんを9カ所切除するという、壮絶な作戦である。

 医師たちは何度もカンファレンスを開き、CT画像やレントゲンを見ながら手術の工程を確認してくれた。説明と同意書の束は、まるで商社時代に交わした契約書のように重く積み上がっていった。

 私はその夜、病室の灯を消し、一人静かに天井を見つめた。

 ――このサインは、自分の命を賭けるサインだ。商社マン時代、私は1億ドルの契約に独断で署名したことがある。しかし、あの時よりも、この手術へのサインの方がはるかに重かった。

旅立ち ― 家族と過ごす“最後の航海”

 手術を目前に控え、私は決意した。

「最後に、家族13人全員と旅をしよう」。主治医は反対した。「感染や体調のリスクがある」と。しかし、私の意志は揺るがなかった。どうしても、家族と共に過ごす時間が欲しかったのである。

 私たちはハワイ諸島を12日間かけて巡るクルーズ客船の旅に出た。海は穏やかで、風が心地よかった。甲板の上で孫たちがはしゃぐ姿を眺めながら、私は静かに心を整えていった。

 かつて、がん宣告の直後に家内と訪れたラオス・ルアンパバーンの寺院で、托鉢に参加した時の記憶が蘇った。あの時も、命の尊さを思い、托鉢業に参加した。今回のハワイの思い出の旅は、私にとって人生の締めくくりの儀式のようなものであった。家族との笑顔、海の輝き、孫たちの声――それらが私の心の中に深く刻まれた。

 これで、思い残すことはなくなった。

最終決戦 ― 医療の戦場へ

 9月17日の手術の日、私は穏やかだった。

「覚悟して楽しんでやるつもりだ」と主治医に告げた。

 手術室の明かりが照らされた瞬間、私はまるで鉱山の坑道に入るような感覚を覚えた。未知の領域に踏み込む――その緊張と興奮が、若き日の商社マンの血を再び呼び覚ました。

 私の戦いは、決して悲壮なものではない。“がんファイター”とは、恐れず、逃げず、そして最後まで楽しんで挑む者である。私はこの最終戦を、人生の延長線上にある冒険と考えている。

戦士の矜持 ― 気力と体力の限界を超えて

 がんとの戦いは、体力だけではなく、気力と胆力の勝負でもある。

 私はこれまで、世界116カ国を旅し、戦乱の国、極寒の鉱山、灼熱の砂漠にも身を置いてきた。そのすべてが、今この時のための訓練であったように思える。

 医師団という強力なパートナーと共に、私は自分なりの戦略を立てた。最新のゲノム解析、薬剤選択、副作用対策、リハビリ計画、術後のQOL計画。まるで企業の経営計画を立てるかのように、後顧の憂いなきように冷静に戦略を練った。

 しかし、最後に勝敗を分けるのは、数字でも技術でもない。「人間の運気と生きる力」である。どんなに医療が進歩しても、心が折れれば終わりだ。私は孫たちに、最後まで諦めない姿を見せたい。

次の旅 ― 冥土の放浪のはじまり

 もしこの戦いに敗れたとしても、私は恐れない。

 なぜなら、それは「新たな旅の始まり」に過ぎないからである。私は放浪の旅を愛した人間である。南米のアンデスも、アフリカの鉱山も、ヨーロッパの市場も歩いてきた。死後の世界があるなら、そこでも私は新しい鉱脈を探す旅に出るだろう。冥土の放浪の旅――それが私らしい人生の終幕である。

生きる証 ―9人の孫たちへ

 生きるか、死ぬか──どちらに転んでも悔いはない。私は自分の人生を、精一杯生きてきた。世界を駆け、商社を起こし、多くの人に支えられ、愛する家族に囲まれて生きてきた。9人の孫たちよ。この戦いを通じて、じいじが伝えたいことは一つだ。

「人生は、最後まで自分らしく挑むことだ」

 私は最後の瞬間まで、がんファイターとして戦い抜く覚悟を持っている。そして、たとえこの肉体が朽ちても、魂は次の旅へと歩み出す。これが、山師としての、そして一人の人間としての、私の矜持である。この闘病記ががんで苦しむ人々の参考になれば望外の喜びである。


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