2025年6月17日(火)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2025年6月5日

ダイバダッタと僕の共生哲学

 がんになったのは運命だったのか、それとも単なる偶然だったのか──。

 これまでの放浪人生で、僕は幾度も修羅場をくぐってきた。しかし、医者の口から「ステージ4です」と告げられたときには、さすがに膝が笑った。

 けれど、僕は‘’ガンファイター”である。銃を捨てるわけにはいかない。がんとの撃ち合いは、どうやら一発勝負の早撃ち決闘ではなく、長期戦という名の「共生」だった。

 10回にわたって続けてきたこの闘病記も、ついに最終回を迎える。読者諸兄にとっては、老がんマンの独り語りだったかもしれない。だが、がんという存在と向き合いながら日々生きるうちに、僕の中で一つの問いが浮かび上がった。

「がんとは何か。そして、がんから何を学ぶことができるのか」

 この問いに対する明確な答えはない。しかし、思索と沈黙の中で見えてきたのは、仏教的な「共生」の思想であった。

(Jerome Maurice/gettyimages)

がんとの対話——それは僕の中にいるもう一人の自分

 がんとの出会いは、当然ながら「戦い」として始まった。

 ゼロックス療法、バハシズマブ、まるでSF映画に登場しそうな治療法を体内に取り込み、僕は生き残るために銃を抜いた。

 だが、治療の途中でふと気づく瞬間があった。

 こいつは本当に「敵」なのか? と。

 このがんという存在、まるで自分の奥深くに潜んでいた「何か」が、形を持って現れたような気がしたのだ。

 西洋哲学では、善と悪、光と闇、カインとアベルというように、二元論で物事を捉える傾向がある。だが、仏教にはそうした単純な切り分けを許さない深い洞察がある。たとえば、釈尊(ブッダ)とその従兄弟であり敵対者であった提婆達多(ダイバダッタ)の関係が象徴的である。

 提婆達多は一時、釈尊の命すら狙ったが、最終的にはブッダの法に帰依し、来世で仏になると予言された。つまり、最悪の敵もまた、自分の中の仏性を映し出す鏡だったというわけである。

 僕のがんもまた、まさに「僕の中にいるダイバダッタ」だったのかもしれない。

家族、仲間、そして“未来のがん患者たち”

 ベッドの横に立つ妻の手を握りながら、ふと思う。妻は「がん患者の家族」だが、いずれ「がん患者本人」になるかもしれない。

 これは決して悲観論ではない。むしろ、全ての人間がどこかで何かの病に出会い、やがては命を閉じていくという普遍的な運命の中にあるという、ごく自然な認識である。

 友人も、後輩も、遠くの知人も、皆が未来の「予備患者」だと考えるようになった。

 すると、自分が癌になったことの意味が、少しずつ変化し始めた。

 僕の経験は、誰かにとっての“先行事例”になる。

 僕の痛みは、誰かの心構えになる。

 僕の生き方は、誰かのヒントになる。

 それは、がん患者としての“責務”でもあり、“贈り物”でもある。自分の生き様を通して、誰かが少しでも前向きになれるなら、それは決して無駄ではなかった。

 情けは人の為ならず。巡り巡って、最後に返ってくる。

 若い頃、僕は「与えるより奪う側」にいた。

 世界中の商談の中で、成功とは奪うこと、勝ち取ることだと信じていた。だが、がんになってみると、思いがけないところで優しさに助けられる。

 看護師の微笑み、主治医の真剣なまなざし、孫からの有難くて1番嬉しい手紙──それらは、すべて自分がかつて他人に向けた眼差しの“お返し”かもしれない。

「情けは人の為ならず」とは、単なる倫理的な言い回しではなく、実際の“生存戦略”だったのだと、身をもって知った。


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