また、計算高いが、貪欲ではないという評価もなされており、前政権のように、私利私欲のために国を犠牲にするようなことはないだろうという安心感も持たれていた。
さらに、英語など4カ国語に堪能で、外相やビジネスの経験から、欧米だけでなくロシアとのパイプもあり、プーチンとも前から知り合いであるというような国際性も高く評価された。実際、ポロシェンコが記者会見で、極めて流暢に多言語での質疑応答をこなしたことは世界でも話題になった。
なお、ティモシェンコはかねてより宿敵である。オレンジ革命後、両者とも首相の座をめざしたが、ユシチェンコは約束通りティモシェンコを首相に選出したため、ティモシェンコとポロシェンコの対立関係は「オレンジ政権」の爆弾となっていった。権力の独占を目指したティモシェンコが、2005年9月に「宮廷革命」を試み、ポロシェンコとその仲間を政権から排除しようと画策したが、ユシチェンコはティモシェンコとポロシェンコを共に解任し、喧嘩両成敗としたのだった。ティモシェンコはこの結果に怒り、ポロシェンコの汚職等を激しくテレビでまくしたてた。
他方、ポロシェンコは大統領の執務室にアポなしで訪れ、ティモシェンコ派の陰謀で自分は議席まで奪われたと泣きながら訴えたが、ユシチェンコはそれに取り合わず、この様子は国民に長らく嘲笑された。そして、ポロシェンコはこの事件で大きな心の傷を負い、長らく立ち直れず、政治からしばらく身を引いていたが、2009年にティモシェンコが翌年の大統領選に備え、各影響力グループとの協力関係を築くため、ポロシェンコを外相候補に提案して政界復帰を果たしたという経緯があるが、両人の関係はまたすぐに悪化することになる。
そのため、今回の大統領選挙戦でも、ティモシェンコが要求し続けた公開討論を断固拒否したという経緯がある。とはいえ、ヤヌコーヴィチ時代に、ティモシェンコが職権乱用罪などで実刑判決を受け収監された時は、経済閣僚として貿易面の利益を強調し、EUとの関係を重視するためにも釈放するべきだと主張したため、政治に私情を持ち込まない冷静な指導者という評価も得た。
加えて、テレビ局「第5チャンネル」も所有しているが、その放送内容に介入せず、自分に都合の悪い調査報道も止めなかったことも評価されている。
プーチンがポロシェンコを評価した理由
このように、ビジネスの手腕に長けつつ、政治的キャリアも申し分なく、さらにバランス感覚もあるということで、内政的にも外交的にも、ポロシェンコは今のウクライナにおいては最善の人物とみなされたのであった。
だが、一番注目されるべきことは、ポロシェンコが大統領としてロシアの承認を得られたことだろう。前述のように、ロシアは当初、ウクライナの大統領選挙を認めないという立場だったが、選挙直前に公認する姿勢に転換した経緯がある。それは、事前の社会調査で大統領に当選する人物がポロシェンコでまず間違いないという状況になったから、つまり、大統領がポロシェンコであったからこそ、ロシアがウクライナの大統領選挙を公認することにしたのだと考えられている。