実は平賀博士は阪急電鉄の創業者である小林一三の第六子であることが帰国後に分かった。稀代の遊び人で、偉大な実業家であった小林翁は子沢山であったから、一人ぐらい自分の子供をブラジルに移民させても良いと思ったのか、それとも平賀博士が自ら移民となることを決意されたのかは分からない。
これも後日談だが、なぜ博士が小林姓ではなく平賀姓なのか不思議に思ったので「小林一三伝」を読んでみたら、三井物産時代に重要な影響を受けた阪急の社員に平賀敏(第2代阪急社長)という人の存在が分かった。平賀家の養子になった経緯は何か訳ありなのだろうが、今となっては調べる術はない。
今年は「W杯」がブラジル全土で行われた。多くの日本人サッカーファンたちもブラジルに行っただろう。経済動向を見ると資源ブームが一巡して大資源国家であるブラジルの景気が落ち込んでいるように見えるが、これは一過性の現象だと私は考えている。
2008年ブラジル移民100年を記念して(Reuters/Aflo)
ブラジルが底力を発揮するのは時間の問題である。未来の大国ブラジルには多くの顔があるが、日本人が100年にわたってブラジルの農業の基礎を築き上げたことを忘れるべきではない。
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