日本の下水道政策は長らく「整備区域を広げること」を前提に進められてきた。高度経済成長期の都市では衛生環境の改善が急務であり、このアプローチは合理的であった。しかし、人口減少・財政制約・老朽化の三重苦が現実となった現在、従来の発想を続けることは不可能だ。
近年、国交省は方針を転換し、整備予定区域の縮小や浄化槽区域の拡大、さらには既整備区域を浄化槽へ切り替える動きもある。「集約型と分散型の適切な役割分担」を掲げた政策転換は、全国一律のグリッドを均質に引き延ばす時代が終わり、地域ごとの最適解をつくる段階へ入ったことを意味する。
全国一律発想からの転換と
下水道の〝見える化〟を
この文脈で重要なのが、「インフラじまい」という考え方である。インフラじまいとは、すべての下水道管を延命・更新し続けるのではなく、撤去・閉塞・代替(分散型処理)・開渠化などの手段を組み合わせ、地域の水循環と生活基盤を再設計する発想である。
更新コストが上水道の3〜4倍に達する下水道では、延命ありきの発想では財政がもたない。むしろ、どの管路を残し、どの管路を縮退・撤去し、どの地域を分散処理へ切り替えるかなど最適化を図ることが持続の条件となる。インフラじまいは、老朽化リスクの低減、財政負担の圧縮、地域の衛生・防災機能の確保、そして水循環の再生という4つの目的を同時に達成するためのフレームである。
その際、忘れてはならないのが、日本の下水道に根深い「暗渠化」の歴史である。川や水路を覆い、生活排水を地下へ押し込めてきた結果、下水道は市民から「存在しないもの」として扱われてきた。象徴的にいえば、「くさいものに蓋をする」文化の延長だ。見えないがゆえに、老朽化リスクへの無関心、投資不足、担い手不足を招き、問題を深刻化させてきた。
そこで必要なのが「開渠化」の視点である。ここで言う開渠化は、物理的に蓋を外して水路を復元するという意味だけでなく、下水道の状態・価値・機能を市民に向けて〝可視化〟するという意味もある。
地下にあるからといって、突きつけられた現実を見ないわけにはいかない。むしろ見えない世界にあるからこそ、社会が意識的に見ようと努力しなければならない。下水道は道路や鉄道と同じく、都市の生命維持装置である。使えば傷み、放置すれば壊れる──。その当たり前の事実を共有しなくてはならない。インフラじまいと開渠化という二つの視点は、縮退の時代における新しい都市のかたちをつくるための不可欠な基盤といえよう。
インフラじまいは、経済の観点からしばしば懸念が示される。公共投資を減らし関連産業の仕事も減るからだ。しかし、この見方は、人口減少と財政縮小という日本が直面する構造的制約を十分に踏まえていない。現在の日本で問題なのは、人口規模が急速に縮小しているにもかかわらず、成長期に整備した巨大なインフラを「同じ形のまま維持し続けよう」としてきた点にある。
必要な幹は残し、枝線は縮退させ、分散型処理で衛生と防災を確保する。地方では下水道の開渠化により水辺空間として再生させ、環境・教育・観光に資する新たな価値をつくり出す。持続不能な部分は手放し、限られた資源を守るべき場所に集中させ、地域の基盤を強くする。このような、複数の手段を組み合わせて、地域の水循環と生活基盤を再設計する「インフラじまい」の視点と、問題を自分事化して取り組む姿勢が、これからの日本には欠かせない。
