1954年から2004年までの50年間に日本では28作のゴジラ映画が作られ、ゴジラも人類の破壊者という位置づけから徐々に日本社会の保護者へと転換していった。50年にもわたる映画による洗脳作用により、日本だけでなく世界でも日本の軍国主義イメージの具現化であったゴジラが、反戦テーマの破壊からの再生への日本社会を守るというイメージに転換を遂げたのだ。1962年にゴジラとキングコングが対決すると、1255万人もの観客数を記録した。1990年代にゴジラは日本から飛び出してアジア諸国を救うというように変わったが、このプロセスは日本の極右軍国主義の思想が日本国内で復活の炎を上げるプロセスでもある。
中国は日本の軍国主義復活に警戒を強めよ
我が国で世論宣伝と教育実施の際によく強調されるのが、中日両国で友好協力を進めるべきであり、互いに戦えば共に負けるので相互利益で折り合いをつけるべきだということだ。これまでずっと強調されてきたのは、日本の極右の軍国主義分子はごくひとつまみで、大多数の日本人民は平和と友好を追求し、友好的で軍国主義分子を憎んでいるということである。
しかし、近年、日本の学校では極右が刊行したものを題材に中日関係の歴史、政治関係が論じられており、そのほとんどが反中的な内容だ。「日本は中国を侵略したことなどない」とか「南京大虐殺はねつ造だ」、「中国が昔の出来事をほじくり返して歴史云々するのは、日本の経済パワーに対する嫉妬だ」というように。日本の大学にも反中的講師は少なからず存在し、学生に反中感情を植え付けている。歴史を歪曲し、政策決定に携わる官僚に影響を与えている。文科省は彼らに研究費を提供し、「対中政策」研究で外務省が彼らを討論会に招いて研究成果を取り入れ、対中政策のために参照している。学術界でも社会世論でも影響力を持つ。「知中派」ならそのほとんどが「中国牽制派」でもある。
日本社会では右翼勢力が絶えず拡大している。長崎市市長が原爆投下の哀悼式において天皇の戦争責任について言及した後、右翼に暗殺されかかり、銃弾を受けて生死を彷徨った。2011年に起きた釣魚島(日本では尖閣と呼んでいる:筆者)論争の扇動者で極右の代表的人物である石原慎太郎は4期にわたり東京都知事を務めた。選挙結果は驚くべきもので彼は苦労することなく再選に成功し、獲得票数も他の党の候補者よりも遥かに多かった。東京には日本の4分の1以上の人口が住んでおり、日本の政治方向の全体的方向性は東京のそれに近いのである。
安倍首相は日本で「極右タカ派」政治家と見られている。彼は日本政府の中国への強硬的立場を促し、釣魚島での港湾整備や軍の駐屯を主張する。平和憲法を改正し、対外戦争禁止の条項を廃止し、日本が主導的戦争宣言を行使する権利を持たせようとしている。自衛隊の大幅拡張を求め、攻撃的な「陸戦隊」を成立させ、隣国との紛争解決に用いるようにし、海外派兵への制限を排除するよう主張している。