5月17-23日号の英エコノミスト誌は、安倍総理が日本を平和主義から脱却させようとしていることは間違っていない、と報じています。
すなわち、同盟国を防衛できる日本にするという安倍氏の提案は、日本を正しい方向に向かわせるものであり、精力的外交を伴って実施される限り、地域の安全を高めてくれるはずだ。
日本は1945年の敗戦以来、模範的な世界市民であり、東アジアの平和と繁栄に貢献してきたが、そうした功績のいったんは、日本を占領した米国の起草による平和憲法にある。同憲法9条は、国際紛争の解決のための武力行使の永久放棄を謳っており、これによって周辺諸国は日本の軍国主義に二度と脅かされないことを確信でき、米国は太平洋で主導権を握ることになった。また、安全を保証され、軍備を放棄した日本は、経済的繁栄に向かってひた走ることができた。多くの日本人にとり、平和憲法は誇りの源であると共に、国民的宝でもある。
しかし、状況は変わり、こうした取り決めは時代遅れなものになりつつある。核爆弾を開発した北朝鮮は今やそれを搭載するミサイルを開発しつつあり、日本への怒りを忘れようとしない中国は軍備を増強、日本が長年管轄してきた東シナ海の島々の領有権を主張している。
一方、日本国内では、アジア以外の紛争にも関わらざるを得ず、中国との対決を避けたがる、米国の安全保障の確実性に対して不安が生じている。また、米国は米国で、米国の提供する安全保障に日本がただ乗りすることにうんざりしている。現行の憲法解釈では、日本は北朝鮮が日本の頭越しにカリフォルニアに向けてミサイルを発射してもそれを撃ち落すことはできず、朝鮮半島有事の際も、現地に向かう米国の航空機に燃料補給さえできない。しかし、米国は、日米同盟において日本により大きな役割を果たしてもらいたいと思っている。
こうした事情を誰よりも良くわかっている安倍氏は、日本初の国家安全保障局の設置や国家安全保障戦略の策定等、慎重な日本の基準から言えば瞠目すべき措置を既にとっている。今回の提案は、憲法の改正ではなく、憲法が認める事項――とりわけ、集団的自衛権の原則――の再解釈を求めるものだ。