それを理解するためには、習主席の腐敗撲滅運動の中身をもう一度詳しく吟味する必要があろう。たとえば、高級幹部の一体どういう人たちが摘発されていて、逆にどういう人々が摘発されていないのかという視点から色々と調べてみると、腐敗摘発運動の隠された目的がはっきりと見えてくるのである。
ターゲットは江沢民派
ここでは順番を逆に、まずはどのような高級幹部が摘発の対象となっていないかを見てみよう。前述の党籍剥奪された幹部たちやその他の摘発された幹部たちの出自や経歴を調べてみると、実は習主席や王岐山と同じ太子党の幹部、つまりその父親が毛沢東・鄧小平と同じ「革命第1世代」に属するグループの幹部たちは一人も摘発の対象になっていないことに気がつく。そして次には、摘発された幹部の中には、「共産主義青年団幹部」の経歴を持つ人はあまりいないことも分かる。要するに、前国家主席の胡錦濤の率いる共青団派という派閥の幹部たちも概ね摘発の対象から外されているということである。
それなら、腐敗摘発は一体、どこの派閥の幹部たちをターゲットにしているのか。これに関しては、日本の一部の論者たちもすでに指摘しているように、腐敗摘発運動の最大のターゲットはやはり、江沢民元国家主席の率いる江沢民派(上海閥)の幹部たちである。
今まで摘発された最大の幹部グループはすなわち前政治局常務委員の周永康とその周辺の幹部たちであることは前述の通りだが、5月19日掲載の私の論文でも指摘しているように、周永康自身は江沢民派の大幹部の一人であり、彼の率いる石油閥こそが江沢民派の主力をなすものである。習主席の腐敗摘発運動はまさにこの石油閥に焦点の一つを絞って彼らに対する集中攻撃の様相を呈していたのである。
その一方、解放軍幹部、より厳密に言えば解放軍の元幹部に対する摘発も結局、江沢民派の軍幹部にターゲットを絞って行われている。
摘発された最高級の元軍幹部の徐才厚は紛れもなく江沢民派の軍幹部であり、軍における江沢民派の代弁者のような存在であった。
徐才厚という軍人はもともと、元国家主席の江沢民によって抜擢され、制服組のトップの座についた人物である。彼が軍人としての大出世を始めたのは1999年に党の軍事委員会委員と軍の総政治部常務副主任に任命された時であるが、この人事を断行したのは当時の軍事委員会主席で国家主席の江沢民であった。2002年11月に開かれた第16回党大会で、江沢民は党総書記を辞めてからも一時は党中央軍事委員会主席の座を手放さず軍の指揮権を引き続き握っていたが、そのとき、江沢民は徐才厚を軍の総政治部主任に昇進させ、軍における自分の右腕として使った。