総政治部主任という職は人民解放軍将校の人事に関与する立場であるから、徐才厚が人民解放軍の人事を握ることによって、江沢民の影響力の基盤を提供していたとも言える。2004年9月になって、江沢民はようやく党中央軍事委員会主席のポストを胡錦濤国家主席に引き渡したが、胡錦濤を牽制するために江沢民は徐才厚を軍事委員会における制服組のトップに据え、徐才厚を通して軍に対する影響力の温存を図った。このようにして徐才厚という人物は、2012年11月の第18回党大会において年齢制限による退陣となって党の全職務から退くまでずっと、軍における江沢民の代理の立場にいたわけである。
もう一人の軍幹部である郭伯雄も、出世街道まっしぐらの経歴が徐才厚と驚くべきほど類似している。2002年11月に開かれた第16回党大会で党総書記を辞めた江沢民が引き続き軍事委員会主席の座にしがみ付いた時、軍事委員会の一平委員であった郭伯雄をいきなり軍事委員会の副主席に任命した。それ以来、郭伯雄は徐才厚と並んで、軍における江沢民派のもう一人の代理人となった。2012年11月の第18回党大会で徐才厚と共に退任した。
そして、この党大会で党と軍のトップとなった習主席は体制を固めて腐敗撲滅運動に着手するやいなや、党と政府における石油閥・江沢民派に対する容赦ない摘発を進めていった。同時に、軍における腐敗幹部の代表格幹部として摘発のターゲットにしたのがまさにこの二人の江沢民派軍幹部である。
江沢民派の後押しを受けてきた習近平
こうしてみると、習主席の腐敗撲滅運動のターゲットは党・政府と軍の両方においてまさに江沢民派幹部であることは明々白々である。そうすると、習主席の進める腐敗撲滅運動は、「腐敗」そのものの撲滅を目指したような単純なものではなく、むしろ摘発の対象を厳密に選別した上で党内のある特定の派閥を排除するための権力闘争であることは明らかであろう。要するに、腐敗撲滅運動の展開を通して、党・政府・軍における江沢民派勢力とその残党を一掃するというのがまさに習主席の最大の政治的狙い、ということである。
今回の腐敗撲滅運動の開始以来、党総書記と国家主席に就任してまもない習近平がどうしてこれほど大規模な政治運動を上手く展開できるほどの政治力を手に入れたのか、という疑問は常に付きまとってきたが、習主席と共青団派との「結盟」という視点から見れば、このような疑問も解けてくるのであろう。つまり、胡錦濤元主席の率いる党内最大派閥の共青団派の助力があったからこそ、習主席の腐敗運動は強力に進められた、ということである。
習主席が江沢民派勢力を党内から一掃しなければならない理由は実に簡単である。習自身、江沢民派の後押しによって今の地位についたが、2012年11月の党大会で習近平指導部が誕生した時、「習氏擁立」の功労者を自認する江沢民派はその勢いに乗じて、新しい最高指導部の政治局常務委員会に自派の大幹部を大量に送り込んだ。その結果、7名からなる常務委員会に江沢民派幹部が4名となり、習近平指導部が江沢民派によって乗っ取られたようなものだった。