ヒラリーは2010年をアジア・ピヴォットの転換年としています。2009年就任早々のオバマはその年の11月の初めの訪中を控えて、一年間徹底的な対中宥和策に出ました。せっかくワシントンを訪問したダライラマを手ぶらで帰し、ウィグルの弾圧の批判を避け、台湾向け武器セールを凍結したのがこの時期です。
翌2010年1月に、ヒラリーはホノルルで演説をして、アメリカのアジア復帰を述べました。ヒラリーは、アジア回帰はオバマ政権成立以来の基本方針だと言っています。そして、夏には自らASEANの会議で中国の南シナ海政策を批判し、秋には、尖閣は日米安保条約の適用地域であることを改めて明言しました。
その意味でたしかに2010年は転換年でした。
ヒラリーは、著書の中で、中国封じ込めとは言っていないようです。「封じ込め」とか「包囲網」などという言葉は心の中で思っても表現すべきものではありません。1907年の英仏露協商でも、ドイツという言葉は一言も使っていません。しかし、政策の対象は中国であると言っています。そして具体的な政策としては、地域にルールを作ること、つまり中国にルールを守るよう求めることにあると言っています。それだけでも、政策の実体としては、十分に封じ込め、あるいは包囲網形成につながる政策となると思います。
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