2026年10月14日(水)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2026年10月14日

3度の世界的大流行

 ペストほど人類史に深い爪痕を残した感染症は少ない。歴史上、大流行が少なくとも3度あった。最初は6世紀の「ユスティニアヌスのペスト」である。541年ごろ東ローマ帝国で始まり、地中海世界を繰り返し襲った。

 2回目は14世紀の「黒死病」だ。1347年ごろ欧州に上陸し、数年のうちに欧州人口の3分の1から半分が亡くなったと推定されている。流行は18世紀まで繰り返され、1665年にはロンドンで大流行になった。古人骨のDNA解析によって、これらがペスト菌によるものだったことは現在では確認されている。

1721年のマルセイユのペスト(ミシェル・セール, Public domain, via Wikimedia Commons)

 第3の大流行は19世紀末、中国雲南から始まった。1894年に香港に達し、蒸気船の航路に沿って世界中の港町に広がった。特にインドでは1000万人以上が亡くなったとされる。

 この第3の流行の最中、1894年の香港で、北里柴三郎とアレクサンドル・イェルサンがほぼ同時にペスト菌を発見した。病原体の正体が分かったことで、ネズミとノミが感染を運ぶ仕組みも解明された。

 1910〜11年には中国東北部の満州で大流行が起こり、約6万人が亡くなったのだが、このとき伍連徳医師がガーゼマスクの着用や隔離を徹底させたことが、近代的な感染症対策の原点となった。肺ペストは「人から人へ広がる」ことが、この時はっきりと示されたのである。

 日本も無縁ではなかった。1899年に海外から侵入し、1926年までに約2900人が発症、約2400人が亡くなった。港湾でのネズミ駆除や検疫を徹底した結果、1927年以降、国内での発生は報告されていない。

 ペストとの闘いは、公衆衛生の歴史でもある。英語で検疫を意味する「クアランティン」は、14世紀のイタリアで疫病流行地から来た船を40日間(イタリア語でクアランタ・ジョルニ)留め置いたことに由来する。

 もちろん、当時はペスト菌も感染経路も潜伏期間も知られていなかった。しかし経験的に「感染者を上陸させると、病気が市内に持ち込まれる」ことは分かっていた。そこで、流行地から来た船の乗員を40日間船内に留め置き、その間に発病しなければ上陸させるという方法を取ったのだ。病原体が分からない時代から、人類は「隔離」と「待つこと」で身を守ったのだ。

 19世紀末に病原体と感染経路が分かると、対策は科学的になった。港湾でのネズミ駆除、住環境の改善、患者の早期発見と隔離である。そして20世紀半ばにストレプトマイシンなどの抗生物質が登場し、ペストは「治る病気」になった。現在も、早期の治療と、接触者への予防投与が対策の柱である。


新着記事

»もっと見る