科学的独立性の崩壊
ところが25年〜26年にかけ、この公正な評価基盤を揺るがす前代未聞の政治的介入が行われた。
26年5月、米国保健福祉省(HHS; Department of Health and Human Services)の長官らは、USPSTFの委員長および副委員長に対し突然の解任を通告した。事前予告や合理的理由の説明はなかったとされている。別の任期満了のメンバーもいたため、通常16人のメンバーはわずか8人へ半減し、リーダーシップが不在となる異例の事態に陥った。
介入は人事にとどまらなかった。HHSは、USPSTFのガイドライン作成のための対面会議を4回連続で強制的にキャンセルし、子宮頸がん、周産期うつ病、有害飲酒に関する3つの最終版推奨の公表を阻止した。さらに乳がん予防薬や青少年喫煙予防のガイドラインの草案は差し止め、今回のトピックにもなっている前立腺がんを含めて、大腸がん、心血管疾患の予防など15以上の推奨作成プロセスを早期段階で停滞・凍結させた。
加えて、政府効率化省(DOGE)の施策を通じて医療研究品質機構(AHRQ)の専門職員を解雇・退職へ追い込み、外部のエビデンス調査センター(EPC)への契約資金を留保してスタッフ削減を強要した。
さらに深刻なのは委員会の構造改革である。HHSは、多くのプライマリ・ケアの臨床医と行動科学者で構成されてきたUSPSTFに対し、臓器別専門医を導入する公募を開始した。無症状の市民全体を診る視点から自らの臓器別専門科の介入を提供する視点へのシフトは、自己負担なしの保険適用が臓器別専門診療へ拡張されることによる「経済的利益相反(COI)」を発生させ、ガイドラインの中立性を歪める重大な懸念を生み出している。
この事件が日本で報道されたか確かな記憶がないが、米国では米国医師会、米国予防医学会、米国内科学会が即座に非難声明を出し、『The New York Times』などのメディアでも取り上げられた。英国でも有力紙『The Guardian』が大々的に報じた。米国医師会雑誌『JAMA』では当事者からの寄稿も掲載している。
決して「対岸の火事」ではない
米国で起きた事態は、単なる他国の行政スキャンダルではない。それは「科学的根拠に基づく医療(EBM)」に対する構造的脅威であり、日本を含む世界中の医療者や市民にとって決して人ごとではない強力な警告である。
科学的根拠に基づく医療の公平性と客観性は、政治的イデオロギーや行政の都合、特定診療科の利害から厳格に保護された、透明性の高いシステマティック・レビューのプロセスによって成立する。もし、政府の恣意的な介入によって科学的推奨が封じ込められ、あるいは利益誘導のために改変されるならば、診療ガイドラインに対する信頼は失墜する。
前立腺がんスクリーニングの歴史が物語るように、医療介入の真の有益性と害を明らかにし、それを患者の意思決定に反映させるためには、数十年におよぶ科学者の誠実な努力と公正な第三者機関の存在が不可欠であった。
その科学的独立性が政治によって侵され、利益相反で濁らされる時、最も深刻な被害を受けるのは、歪められた情報によって不必要な検査や過剰な治療に晒される市民自身である。
公衆衛生と臨床医学の基盤となる独立した科学的アプローチを擁護し、政治的圧力を許さない姿勢を持ち続けること。これこそが、私たちが科学の恩恵を守り、公平で信頼できる医療の未来を次世代へ引き継ぐための唯一の道ではなかろうか。
