これら一連のプロセスが人事聴聞制度であるが、直近の首相候補らは、大統領が任命同意案を国会に提出するところまでも至っていない。すなわち、任命同意案を提出するタイミングで必要となる候補者の学歴・財産・兵役問題等に関する資料を収集している間に、さまざまな個人情報がメディアによって広く国民に知れ渡ることとなる。そしてそれは時として意図的に、である。一般的によくあるのが、財産関連、学歴詐称(論文剽窃含む)、兵役(本人及び息子まで)問題、偽装転入などである。そういう意味で、ムン候補の国家観や歴史観が問題となり「落馬」した今回のケースは稀とも言える。これは総理候補者の検証範囲が益々多様になっていく現れとも言えるかもしれない。
余談であるが、ムン候補辞任の裏側には話の続きがあった。候補指名翌日のニュースで報じられた「特ダネ」は、実はKBSの労組が密かに準備していたネタであったとも言われている。というのも、当時一部ではKBSの次期社長にムン候補の名前が挙がっており(KBS社長もまた大統領によって任命される)、前社長の追い出しに成功した進歩系のKBS労組が、ムン候補の社長就任は受け入れられないとし、同人に関する過去の情報収集に焦点を合わせて動いていたというのである。KBS側はこれについて事実無根であると言っており、真相は闇のままである。
人事聴聞会のシステムについて、与党や保守メディアの一角からも現行制度についての見直し論が出ているのも事実である。公職者の資質を客観的に検証するという本来の趣旨は有益だが、実際の運営には改善の余地があると指摘される。首相、国務委員、各部長官の業務力量や資質と関係のない個人情報までもが暴露される現行システムは、「傷だらけになった候補者」たちを生むばかりである。たとえば、国会検証過程で、個人の身上に関する問題は非公開にし、政策問題等公的な部分に関しては公開して国民の検証を受けるように、与野党が合意する方針を模索すべきだという声も聞こえる。
朴大統領自身は、6月30日の首席秘書官会議の席で首相候補の相次ぐ「落馬」とチョン首相の留任について初めて言及し、「首相候補の国政遂行能力や総合的な資質よりも、身上に対する暴露、世論裁判式世論が繰り返され、多くの方が辞退されたり家族の反対に遭って失敗に終わった」と一連の問題点を指摘し、聴聞会の制度改善を与野党に求めたという。
「責任総理制」議論の復活
結局のところ、憲法に示されているように、首相は「大統領の命を受け」動くものであるから、時の大統領によって与えられる権限及び裁量は異なり、その役割は明らかではないとの批判も一理ある。
最近韓国メディアでは「責任総理(首相)制」という言葉をよく耳にする。これは、首相の役割と機能を強化し、大統領に集中している国政の権限と責任を首相に実質的に分担し、首相の権限を強化しようとする概念である。この言葉は1997年の大統領選挙で当時、首相出身の大統領候補らが経験論を通じて提起した用語であり、法律用語や行政用語ではない。責任を持たせるというより、実権を持たせるべきという意味が強い。また、首相も大統領と同様任期を決めるべきだとの意見もある。任期が定まっていないため、大統領の顔色を窺わざるを得ないのが実情だろうか。歴代政権で「責任総理制」に最も近い姿を見せたのは、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と当時の李海チャン(イ・ヘチャン)首相であったと評価されている。前述の知人への聞き取り調査で「記憶に残る首相は李海チャン氏しかいない」と回答した人がいたのも、「責任総理制」の実現からきているのかもしれない。