今年はサッカーのブラジルワールドカップが行われ、サッカー日本代表は注目を集めたが、それを支えるJリーグはそこまでの関心を集められていないのが現実だ。
1996年からJリーグは「百年構想」を掲げている。これは、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくることや、サッカーだけでなく、やりたい競技を楽しめるスポーツクラブを作ること、スポーツを通して世代を超えた輪を広げることを目指している。昨今、地域コミュニティの崩壊が叫ばれる中で、こうした試みはどのようにすれば実現するのか。『百年構想のある風景』(ベースボール・マガジン社)を刊行された、元Jリーグ理事の傍士銑太氏に「アウェイツーリズム」などについて話を聞いた。
――Jリーグが発足してから21年目のシーズンが終わりました。日本全国にJリーグを目指すクラブチームが発足と活発になっているように思います。ドイツ駐在の経験、Jリーグ理事を務めた経験から日本とドイツのクラブを比べどのような違いがありますか?
傍士:もともと私は日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に勤めていました。ドイツから帰国後は地域活性化という独自のテーマを設け、行内では異端児だったかもしれません。ちょうど鹿児島勤務だった1993年にJリーグが発足し「待ってました!」というのが私の正直な気持ちでした。メキシコオリンピックで日本サッカー代表が銅メダルに輝いた頃、中学生だった私は『サッカーマガジン』に掲載されていた世界各国リーグの順位表が、日本でお馴染みの企業名ではなく、地域の名前がチーム名になっているのを見て、いつか日本にもそんなスポーツ文化ができればいいなと想いを馳せていたんです。
そこでJリーグ発足当時、突然事務所に押しかけて、勝手に手伝わせてもらいました(笑)。その頃、今のようにホームタウン制が徹底されていなかったので、その研究会に呼んでもらったのがJリーグとの関わり始まりです。そんな中、98年から3年間、スポーツ文化の先進地であるドイツのフランクフルトに滞在する機会を得ました。
向こうのクラブは、まず地元の人が、クラブ運営に携わっていることからスタートしているので、地元の人がみな自分たちの大好きな街のクラブで、クラブこそが代表なんだという意識があります。それは何もサッカーだけではなく、北ドイツへ行けばそれがハンドボールであったり、体操であったり、クラブの始まりはそれぞれです。