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2015年1月21日

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小泉悠 (こいずみ・ゆう)

東京大学先端科学技術研究センター特任助教

1982年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。民間企業を経た後、2008年から未来工学研究所。09年には外務省国際情報統括官組織で専門分析員を兼任。10年、日露青年交流センターの若手研究者等派遣フェローシップによってモスクワの世界経済・国際関係研究所(IMEMO)に留学。専門は、ロシアの軍事・安全保障政策、軍需産業政策など。著書に軍事大国ロシア』(作品社)、『プーチンの国家戦略』(東京道堂出版)、『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)。『ロシアの軍事情報を配信するサイト「World Security Intelligence」(http://wsintell.org/top/)を運営。

 ちなみにリトアニア軍の兵力は陸海空軍合わせてわずか1万3500 人。空軍に至っては、攻撃能力を持つ航空機は1機しかなく、あとは数機の輸送機と練習機しか保有しないため、NATOからローテーション派遣される各国の戦闘機が防空を担当しているという状況だ。ロシアから本格的な軍事侵攻を受けた場合、正規軍のみではほとんどなす術もないことは明らかである(リトアニア軍単独であれば、ロシア黒海艦隊とその隷下の海兵隊・航空隊だけで充分に制圧可能であろう)。

 であるからこそ、小国リトアニアは民兵による抵抗戦略を採用してきた。2004年のNATO加盟後には単独で国家を防衛する必要性が薄れたこともあり、2008年に徴兵制を廃止する等の動きも見せているが、前述の民兵組織等に見られるように、抵抗戦略自体は依然として放棄された訳ではない。万一の場合にはあらん限りの抵抗を示す意志を平時から掲げることで、ロシアに侵略のコストを認識させる、という狙いがあるのだろう。

 そもそも第二次世界大戦後にバルト三国がソ連に編入された後、もっとも激しい抵抗運動を繰り広げたのがリトアニアであり(およそ2万人がゲリラとしてソ連軍と戦い、命を落としたと言われる)、中井助教によると、前述のようにリトアニアの突出したロシア系住民の少なさもそこに一因があるという。国民による抵抗、という思想的下地がもともとあるのだ。

冷戦期のスイスのマニュアルを参考に?

 このような事情は、冷戦期のスイスを思わせる。1969年、ソ連軍がチェコスロバキアに軍事介入したことを機に、スイス政府は、有名な戦時マニュアル「民間防衛」を発行してスイスの全家庭に配布した。平時のスパイ対策から非常事態・有事の避難、抵抗運動の方法等、リトアニア国防省のパンフレットと共通する部分も多く、実際、後者が前者を参照している可能性は高い。

 冷戦後、スイス政府はこのようなマニュアルは過去の産物であり、再発行の予定はないとしてきたが、冷戦終結から四半世紀以上も経って思わぬところで「続編」が出た格好、とでも言えようか。

 ちなみに、リトアニアの戦没者墓地には抵抗運動に殉じて亡くなった人のための墓がある。今のところ、そこに埋葬されているのはソ連末期の1991年1月、リトアニア独立運動を鎮圧するために送り込まれたソ連軍に殺された人々だけだ。しかし、その周囲には大量の空きスペースがきちんと整備されて残されている。

 それがどんな事態のために用意されているかは明らかであろう。何の墓標も立っていないその空間は、国家としてのリトアニアの決意を示しているようにも思われる。

  
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