その公民連携専攻に半年遅れで入ってきたのが、紫波町役場の鎌田千市さん(現在は同町公民連携室勤務)と、都市コンサルタントだった三輪恭之さん(現在、日本プロジェクト産業協議会勤務)。この3人が中心になって、紫波町の町有地を舞台にした「地域再生支援プロジェクト」を立案した。「ゼミ生は第一線で活躍する優秀な人ばかりですから、すぐに実現できるような提案が出来上がった」と三輪さんは笑う。3人とも2年間の課程を終えて修士号を取得した。
大学院で知恵とネットワークに磨きをかけた岡崎さんは、その提案の実現に向けて動き出す。実際に開発を行う「オガールプラザ」「オガールベース」という会社を設立、岡崎さんが社長に就任したのである。オガールプラザは資本金1億5000万円で、民間都市開発推進機構が6000万円を、紫波町が7000万円を出資。残りは「オガール紫波」が出した。オガール紫波は紫波町が39%、民間が61%を拠出したいわゆる第三セクターだ。民間資本中心の株式会社で事業開発を行う体制を敷いたのだ。
官業を圧迫するアイデア
だが、当初は、民間主導で町づくりを行うというアイデアに町議会は紛糾した。「何せ、官業圧迫ですから」と岡崎さんは苦笑する。何であいつにやらせるんだ、というわけだ。当時の町長は「岡崎さんの代わりがいるなら連れてこい」と反対する議員を一喝、PPPでの駅前開発に着手した。
これが、PPPの成功例として全国各地から視察が相次ぐ「オガール紫波」のスタートである。「オガール」とは、駅を意味するフランス語の「ガール」と、成長を意味する紫波の方言の「おがる」をかけて作った造語だ。12年6月には「オガールプラザ」がオープン。レストランやマルシェ、病院、学習塾など民間事業者と、紫波町が運営する図書館や地域交流センターが入る「官民複合施設」が出来上がった。