1994年以降、内閣府が5年ごとに行っている世論調査では、死刑制度容認派が90年代は70パーセント台、00年代に入り80パーセント台と高い数字が続いている。しかし、袴田事件のように死刑判決を受けたが、再審開始が認められ釈放された例もある。また世界に目を向けると、ヨーロッパを中心に死刑廃止の動きもある。
死刑の根拠とは何なのか。日本の死刑制度に問題はないのか。『死刑肯定論』(ちくま新書)を刊行された元裁判官の森炎弁護士に話を聞いた。
――裁判員裁判が始まり、一般市民も死刑という判断をしなければいけない状況になっています。森先生も裁判官時代には、殺人事件などの凶悪犯罪に接していますね。
森:裁判官は死刑制度がある以上は適用せざるをえないですし、死刑制度に反対だからといって死刑判決を出さなくていいとはならない。また、裁判官は死刑制度があることを承知で任官し、自ら国家権力の中に入っていっているわけです。
ただ問題なのは、それと同じことを裁判員にも求めることです。つまり、死刑制度があることを前提にして考えてくださいというやり方です。死刑制度があることを前提として、それ以上は深く考えないでくださいと。死刑制度が良いか悪いかという根本を考えさせないのは、すごく不自然ですし、本質を考えさせないようになっている。
――本書でも先生は死刑制度について、確信的死刑肯定論者の立場だと表明されていますが、そうだとしても日本の死刑制度の問題点とはどんなところでしょうか?
森:本書でも言いたかったことのひとつであるのですが、「悪性」を理由とする死刑判決が多いことです。
刑罰制度は、犯罪者の悪性と表裏一体の関係にあります。しかし、生命刑だけは違うのではないかという深刻な疑問があります。悪性を理由として生命刑を適用すると刑罰制度や法制度から外れてしまう面があります。悪性に対処するためだけならば、終身隔離で足りるわけですから、生命刑の必要性は基礎づけられない。それでも生命刑を用いるというのであれば、そこに隠された目的や動機が問われます。悪性を理由とする死刑を肯定することは、極端に言えば絶滅政策や民族浄化と同じなのではないか。それと同じ志向があるのではないかということです。しかし、日本の死刑判決の現状として、悪性を理由による死刑判決は非常に多く、大きな問題だと思います。死刑制度を使わなくて良いところで適用している可能性があります。