――それはたとえば、本書にも01年に起きた弘前の消費者金融放火殺人事件の判決文が取り上げられています。この判決では、被告に対し苛烈な人格否定をしていますね。
森:事件の概要は本書を読んでいただきたいですが、判決文を見ると、犯罪行為から離れた人格攻撃と感じられるでしょう。日本の死刑判決にはそうした傾向があります。つまり、悪性が主たる根拠になっていて、極論すれば「どうしようもない人間」だから死刑にしてしまうということです。日本の裁判官の死刑適用は悪性中心ですから、それを判決文で強調しないと技術的に死刑の結論に至らないという面さえもあります。
――犯罪者の悪性を理由とするというのは、最近何かの問題が起きると、一斉にみんなで叩き、排除するのにも似ていますね。
森:そうですね。排除の理屈が悪いとまで言うつもりはないのですが、そういう考え方で生命を奪うとなれば、また別です。
――死刑廃止論者の主張には、冤罪で死刑が執行されてしまった場合を問題視する声もあります。
森:日本の裁判所では、戦後4件、死刑冤罪が出ています。冤罪なのに死刑が確定していたケースですね。この4件については、司法当局も正式に冤罪で死刑を確定させていたことを認めています。これらは、死刑確定後執行前に冤罪が判明して、辛くも救済されたものです。その4件自体も最高裁が再審の要件を緩めた途端に、1970年代後半から80年代にかけてたて続けに出たわけです。その後は、下級審の運用を通じて再審の要件は再び狭められて、現在に至っています。ですから、死刑冤罪が実際にどれだけあるのかは、わかったものではありません。死刑制度を肯定するならば、自らも冤罪で死刑になる覚悟がなければ一貫しないと言えます。
――今年1月に内閣府が発表した「基本的法制度に関する世論調査」では、死刑を容認している人の割合が8割を超えていました。一方、ヨーロッパを中心に死刑制度を廃止している国もあります。この違いについてどうお考えですか?
森:日本の場合、本当に8割以上の人たちが死刑に賛成している実態があるのかどうか。つまり、ひとつには、死刑存置に対する積極的な支持なのかどうか。もうひとつは、死刑制度について議論されていない状況があります。死刑存置にハッキリした根拠や支えがあるのかという観点で、どれだけ考えられているのか。それはこの本を書いた理由でもあります。
日本では、死刑制度を存置しているアメリカに比べ、死刑判決自体の数も少ないですし、乱発しているイメージもないので、一般市民も死刑存置も悪くはないという程度で、多くの人たちはあまり深く考えてはいないのではないかと思うんですね。